戦慄の財政法改正論――夢を誘う者たちへの警鐘
財源なき理想など、紙の塔に等しい。国民民主党は国民に甘美なる幻想を提示するが、そこに肝心の財源を示す確たる根拠は見当たらぬ。もし彼らが雄々しき志を真に貫くならば、まずは財政法四条という磐石の掟に正面から向き合わねばならない。財政法四条は、憲法九条を裏打ちする背骨である。その改正は、文字通り戦争という深淵に足を踏み入れる端緒となるだろう。かつて財務省の要職を担った人物が、国債と戦争の密接なる縁を公に警鐘を鳴らしたことは、記憶に新しい。国債発行とは、単なる経済運営の手段にとどまらず、いざや国を守るべき非常時に際し、その代償として地ならしをする危険さえ秘めている。
さらに、貨幣は無限のごとき幻想を与えがちだが、現実にはあらゆる価値を担保として成立する有限の存在だ。IT技術など新たなる領域を開拓し、電磁波までも資源として取り込む器用さがあれば、確かに通貨供給を増やす余地はある。だが、その拡張は無制限にはあり得ない。国民総出で働くことを生き甲斐とし、供給力が潤沢に満ちている社会であれば国債発行も容易かもしれぬ。だが、現代の日本人は労苦に耐える意欲よりも、消費に歓びを見出す傾向が強い。需要の熱気と供給の不均衡とが合わさり、インフレの炎がくすぶり出す。経済の炎は一見、欲望を満たす温もりであろうが、それを制御する財源と政策が不在ならば、やがて燎原の火と化す危うさを孕んでいるのだ。
国民民主党は国民に夢を見せるホストのように、歓楽の一幕を彩る。だが、その夢には具体的な裏付けが乏しい。夢は甘美であるほど、現実との落差を痛感させる。政治とは夢を語ることだけではなく、その夢に肉付けをする財源の提示と、さらに根幹を支える法制度の整合性を確保せねばならぬ。財政法四条という針路標を軽々しく変えれば、経済は底なしの冒険へと誘われ、かつ国防や外交の針路さえ狂わしかねない。
そこに潜む危険を、われわれは直視しなければならない。経済と平和とは微妙なる均衡のうえに築かれた陶磁器のごとき存在である。脆さと同時に気高さをも持ち合わせるそれを支えるのは、政治家の雄渾なる責務のはずだ。もしも国民民主党が真摯に国民を導かんとするならば、まずその夢の費用をいかに捻出するかを明らかにせねばならぬ。それは一党の力量を示す名誉ある挑戦であり、同時に戦争への道を慎重に回避し続けるための唯一の防波堤となるのだから。