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「侍に機関銃を与えた国―日本の法と文化のねじれ」



日本の法律は、もともと日本の文化に根ざしたものではない。いま我々が従う法体系は、マッカーサーの草案を下敷きに確立され、ドイツやイギリス、フランスといった西欧の法を移植したものにほかならぬ。それは、侍に機関銃を与え、刀を取り上げたかのような所業である。侍は刀の扱いにこそ通じていたが、機関銃をいかに操作するかは知らない──まさに法律に対する我々の姿がそれと重なる。すなわち、日本人は法律という存在を知りながら、その深奥にある理念を十分に理解してはいないのである。

さらに、法の真価を理解するには、その背後にあるフィロソフィー(哲学)をも知悉しなければならぬ。民主主義という概念さえ、ドイツのカントの思想を源泉としていることは周知のとおりだ。仮に機関銃の撃ち方を学んでも、その内部を構成する部品やメカニズムを知らなければ、本当の意味で扱いこなせない。われわれ日本人は、そうした西洋由来の制度や思想を、その構造を探求しないままに握らされているに等しい。

ここに、日本人独特の慣習や暗黙の“掟”と、移入された法律とが噛み合わぬ原因が横たわる。だが、現代にあっては、国家制度としての法律が絶対的な力をもって機能している以上、従来の“掟”を維持することは難しい。結果として、日本人は自ら培ってきた伝統的なルールを壊し、外来の法体系に合わせざるを得ない──こうした姿が、いまの日本の法と文化のねじれた相貌なのだ。

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