
麻雀/ゴリラ
先日、以下の動画を視聴した。
耳が痛い話だ!
それとは別に、2000点にしたのは貴方というのは確かにその通りだと思った。これは東風と半荘の違いがあるようにも思えた。
2000点でもアガってしまえば良いのが東風で、2000点程度なら別に…と言うのが半荘のような気がした。
つまり、東風は躱し手(鳴き)が上手な人がウマイ人で、半荘は打点を稼げる人がウマイ人と勝手に思っている。
もっとも、上記の動画は半荘をメインにしているので東風がドウコウは個人的な問題であるが。
また、以下の動画も視聴した。
麻雀やる人ってみんな基本的にさ
オツムが弱いからさ
私の説明をするな!!
とは言え、
言っている事はとても共感ができる。
牌効率も所詮は運の前には赤子同然なのである。それよりも、何を切ったら危ないかを的確に理解して、それを受け入れて攻め込むのが麻雀というゲームとして理にかなっているのではないか?
…と、思っている。
要は、ファイアーエムブレム(FE)である。
私はFEをプレイするときで、味方の攻撃の命中率が85%と言えば3回に1回は外れる感覚で攻撃を選択している。回避率の場合は、敵の命中率が20%ならば3~4回に1回は当たるという前提で進めている。
その前提を踏まえて結果を受け入れる。
攻撃が当たるか回避するかは神の味噌汁…(乱数神)神のみぞ知るである。
FE的にいえば
牌効率や鳴きは、ちから・わざ・素早さ
オリや回し打ちやは、素早さ・幸運・地形
点数と局は、HP・守備力
である。
ちからと守備力はまりょくと魔法防御でもいい。地形は捨て牌の河である。
強いキャラクターというのは回避能力や耐久力だけではなく、一定の攻撃性能も備えていなければならなくて、その逆も然りである。
ちから・わざ・すばやさのコンウォル成長が最強とは限らないのである。
麻雀でもそこを履き違えてはならない。
確かに受け性能が良いのはメリットもあるけど、一方でそれは自分では何もできない…
他人のミスや人任せでしか盤面を覆せない
ヘタレと言うことに他ならない。
また、攻撃性能が高くてもそもそも攻撃が当たらなければ意味が無いし、高い打点を与えても反撃を逐一受けていてはあまりにも意味が無い。
攻撃性能と防御性能のバランスが重要だし、それは局面によって求められるモノが違う。
魔道士が大量にいるマップでは、魔法防御が高めな同じ魔道士やペガサスナイトに攻撃を受けてもらって、隙が生まれた場面で物理攻撃を与えていけば良い。或いは、攻撃(反撃)を受ける前に排除してしまえば良い。
局面や盤面によって運用方法が違うし
麻雀はソレがコロコロ変わりやすい。
だから麻雀は基本的には運ゲーという事で、技術と同等の慣れが必要という事かもしれないし、知識だけあっても実際に使えなければただの机上の空論と言うことなのであろう。
そもそも麻雀は命中率が低いゲーム。
当たるか分からない山賊や海賊の斧にイチイチ怯えていてはキリが無いのである。
バーサーカーやウォーリアの恐ろしさは、
命中率は低いが当たったら致命傷というところなのである。
(バーサーカーやウォーリアは海賊とかがクラスチェンジして強くなった職業)
だから麻雀は低俗と言われれば、
確かにその通りである。ぐうの音も出ない。
しかし、エンタメ等の興行は高潔さや公平さのみで成り立っている訳では決して無いのもまた真理である。
(勿論、それらも重要だけど)
野球でいうと、
打撃は水ものと似たようである。
プロ野球は守備意識やメンタルの強さが高くて点数が入りづらいが、甲子園となるとポコポコと点が入って点の取り合いが発生する場面が多々ある。
では、
野球に携わる者は低俗ということなのか?
と言う疑問も当然の如く生まれる。
そして、大半の人はこう思うであろう。
「求めるモノが違う」
甲子園は甲子園の良さがあって、
プロ野球はプロ野球としての良さがある。
麻雀には麻雀の良さがあって
ポーカーやチェスにも良さがあるのである。
その違いが分からない、或いは分かろうとしないで一方的に断罪しようとするその姿勢こそが、本当の意味での低俗という事であって、真の意味での俗物という事なのかもしれない。
競技性としての完成度と
エンタメとしての完成度は
必ずしも一致しない
と言うことは、
言葉にせずとも各々理解できるであろう。
麻雀のエンタメ要素は
不確実性にあるのだから
(個人の感想です)
話を戻して、私は麻雀一番街のようなトップ取り麻雀で己がヘタレ根性に渇を入れつつ、AIくんに牌付を検討して貰っているのである。
攻撃面(トップ取り)では
麻雀一番街でAI検討
防御面(ラス回避)では
雀魂でAI検討
この二刀流でプレイするのもまた一興なのかもしれない。