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僕が思う安楽死

最近自殺者が出るたび「日本にも安楽死制度を」「他国は安楽死制度を導入しているぞ」なんて言ってる人をTwitterでよく見る。
僕も安楽死制度はあっていいと思う。ただし、難病患者や植物状態で助かる見込みがほとんどない患者さんを対象とするという意味でだ。勿論僕だって死にたいと思ったことなんて数百回数万回ある。でも、それは安楽死制度があろうがなかろうが関係ないと今は思う。安楽死制度と一言でいっても、そんなお手軽に出来るものじゃない。スイスでは「患者本人からの明確な意思表示、病状が終期末、苦痛が耐えがたいなどの条件を満たしており医者から病状や今後について詳細な説明を受けその上で申請を行う。(「安楽死を徹底解説 スイスの合法安楽死」から一部抜粋)といったようにまあ容易に行えるものではない。最近若者が簡単に口にする「安楽死」は意味が違っているように思う。本当につらくてどうしようもなくて、もう死ぬしかないと本気で思っているかもしれない。死んだほうが楽だと。ただそれは、簡単に死ねる方法が欲しいだけ。僕の考えている安楽死とは、死んでしまいたいと思っても物理的に出来ない人、他人に手伝ってもらえば出来るが素人の判断で行ってしまうと、殺人罪として扱われてしまうという場合に限ってのみ専門の医師が本人とその保護者がしっかりと話し合ったうえでどうするか、ということだと思っている。確かに「安楽死」と聞くと「文字通り楽に死ねるんだろ」「薬で一瞬」と捉えるだろう。でも、それだけ手続きが大変で条件も厳しいということ。スイスの安楽死制度を見るに「死にたい」「苦しい」というだけで行えるというものではない。僕は「安楽死制度」は反対とは言い切らないが、Twitterなどに書かれてる自殺者が多くなってから安楽死制度を。と言ってる人たちには反対だ。「安楽死制度があるってだけで自殺抑制につながるのではないか」それはないとはっきり言える。流石に日本もそこまで馬鹿じゃない、安楽死制度を仮に作ったとしてもそんな軽く行えるようにはしないはずだ。それに線路に飛び込み自殺を行うような人は、安楽死制度があったところで利用するかは怪しいと思う。僕だったら絶対利用しない。そんな余裕なんてないだろうから。では、自傷行為をしたりして死にたいと思った人はどうだろう。医者に取り合ったって厳重な条件に跳ね飛ばされておしまい。そこで「僕はその程度なんだ」と落ち込んで結果は変わらない。会社でパワハラを受けていて…..、学校でのいじめが…..という人。確かにそれが原因で人が死ねば問題が明るみに出るケースもある。それが死ぬ前に安楽死制度を利用しようとして亡くなってしまう前に明るみに出るかもしれない。でもその役は「自殺」などのワードを調べると必ず上に出てくる「こころの健康相談」とかだと思う。そんなの絶対適当にあしらわれて終わる、だったら安楽死制度を導入なんて新しいことを始める前にそこを強化すべきではと思う。そんなこと一般のやつらにはできない。だから政治にきちんと参加すべきだと思う。確かにテレビでよく見る政治家は、言葉は悪いが意味の分からない人たちが多く、何をやっても裏で結局なんとかされて政治家が一番儲かるような仕組みになってしまってるかもしれない。けどそれは、政治に関心のない若者が大多数だから。「どうせ何も変わらない」「難しい話ばかりだから見る気も失せる」だったら何も口だしせず働き続ければいいと思う。確かに意味わからないおじいちゃんたちの話を聞いて一喜一憂するのがだるいという気持ちもわかる。でもそんなこと言ったところで何も変わらない。なんならそれが昔は知らないが今お金欲しさになってしまってる政治がの狙いまであると思ってる。発信者と意味は異なるが、「ツイッターデモをしているくらいでは国は少しも動きません。」まあこれは「日本安楽死協会」公式Twitterがツイートしてた内容なんですがw
でも本当にその通りだと思う。僕のこの言葉の意味は、安楽死制度を導入してほしい人、そうではなくもっとより生きやすい国を作っていきたい人どちらにしても今やるべきことはツイッターデモなんてちっさなことではない、ということ。それも全部どうでもいい、面倒くさい、という人は良く分からない政治家の言うとおりに動けばいい。それも嫌で全部終わらせたい人は線路に飛び込もうが首を吊ろうが好きに自殺したらいい。そう思う。


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