「嫌い」でもいい。けど…。
こんばんは🙇♀️✨
突然ですが、みなさんは嫌いな人っていますか?
私は嫌いな人は、あまりいないのですが。苦手な人は、若干います。
好き、があるので、嫌いもあって普通。そんな考えなので、嫌われる、という事に、凄い恐怖とか、嫌悪感?はないのですが…。
嫌いという言葉は注意して使っていきたいな、と思ったので。
自分の備忘録という意味も含めて。
私の嫌いな人も、きっと誰かの好きな人。
なのだと思う。だから、全否定はしないようにしたいな。と。
私が嫌いな人は、私の周りの人も、嫌いにならなければならない、なんていうような考えは、傲慢(笑)
私の好きな人達が、仲良くなるのは嬉しい✨
けど、嫌いな人は別に共有しなくてもいいのかな。と。
だから、「私は」嫌い。だけど、あなたはどちらでもいい。
このスタンスは守りたい。
食べ物や文化、その他諸々、全て同じ。
「私が」嫌い、なのであって。別に私以外の人は好き、かもしれない。それを信じられない!!というような、そんな眼差しでみることはしたくない。
嫌い、という言葉より、苦手、という言葉の方が柔らかく、そしてしっくりと伝わるのかな…。
私は彼女が苦手。
私は彼女が嫌い。
なんだか、苦手、という言葉を使うと、私も彼女もイーブンに感じる。
そんな気がする。
私は人の悪口を聞くのが得意ではない。何故なら、私自身はその人が嫌いではないのに、嫌い、という共感を求められていると感じるから。
私と親しい人は、そんな私の性格を知っているので、共感を求めては来ない。
あなたは嫌いなのね。〇〇されて大変だったね。だけど、私は別に好きでも嫌いでもない。私は何も嫌いになる様な事をされていないから。
こんなスタンスだ。
もちろん、私の友達を非常に傷つける様な事をしたら、嫌いになるかもしれない。
けど、当人達同士の問題の場合、私は本当に蚊帳の外だ。外の人間なのだから、どちらでもない。というスタンスなのだ。
嫌い、という言葉の感染力や影響力は偉大だ。
自分の好きな人やもの等を、嫌い、と言われることは、誰しもいい気分がしない。
私の嫌いな人も、きっと誰かの好きな人。
ただ私とは相性が合わなかっただけ。
嫌い、という言葉の強さを忘れずに。気をつけて使っていきたい。