見出し画像

彼らへ心からの祝福を。誰かを愛し、応援する全ての人にエールを。

見てはいけなものを見てしまった。
深夜2時。


その日は、夏の音楽番組に超特急の初出演が発表された日の夜だった。XやInstagramなどSNSには、たくさんのお祝いの言葉や、喜びのメッセージがあふれていた。CDデビューから12年、超特急の歩んで来た道のりや、いつか出演したいと目指して努力していた姿が思い出され、胸が熱くなった。
とても素敵な空間だった。


そんな素敵な夜に、久しぶりの夜更かしを楽しんでいた。スマホを触っていると、超特急とは全く関係ない記事から「推し活おばさん」の単語が目に留まった。へぇ、私はそんな風にカテゴライズされているのかと興味本位でクリックした。
それが良くなかった。

運悪く、リンクした先でミドル世代の推し活に対するネガティブなコメントが渦巻く場所に足を踏み入れていた。

見てはいけなかった。
素直にショックだった。

超特急に出会ってから、今まで縁が無かったSNSを始めたが、嫌な思いをしたくなかったので、ネガティブな情報には近づかないようにと細心の注意を払っていた。いつも8号車(超特急のファンネーム)の皆さんはとても温かくて、私は「推し活初心者、温室育ち」であることを忘れてしまっていた。

一歩、外に出で、びっくりしてしてしまった。


さて、少し落ち込んだ後、小さな怒りが収まらず、書かれていた事の、反論が頭の中に浮かんだし、
おばさんですいませんねとか、
不快な思いをさせて申し訳ないですねとか思った。
すぐに、無意味な事だと考えることをやめた。

そして、珈琲を飲むことにした。深夜に。
とても濃い珈琲だ。

眠ることをあきらめ、
この感情について考えることにした。


禁断の深夜のカフェインで冷静になった私は、
歳を重ねて図太くなってしまったけれど、ちょっと傷ついてムッとしている。まだ、こんな自分にもかわいげが残っていたのだと思った。

そういえば、小さいころから、周りからどう思われているか、周囲との関係性の中で自分はどうあることが望まれているのかばかり気にして、無意識にそれに合わせてきた様に思う。

おばさんになって、
やっとその呪縛から解放された、はずだった。
にもかかわらず、深夜2時、忘れようと、気にしないようにしようとしてきた「周囲からみた自分」を目の前に突き付けられた様に感じたのかもしれない。

実際は、ネット社会よりも現実社会でその事が解決に至っていない事、そしてその難しさに直面していることに思いを巡らせた。

40歳を過ぎて突如として始まった私の推し活。
周囲は戸惑ったし、そして心配もした。
手放しで賛成はしてくれなかった。

近しい人や大切な人だったとしても、
全ての好きを共有できるわけではない。
すぐに受け入れてくれるとも限らない。

私は自分の感情に気づかないふりをして、周囲に合わせる事はしなかった。でも現実の世界には、大切にしたい関係性も諦めたくない気持ちもある、だから難しい。今もまだ、その着地点を探している。


それでも、誰かを好きになって、応援する気持ちは自由でいたい。そして、私以外の人にも自由でいてほしい。

性別や年齢なんて関係ない。
誰が、何を好きになってもいいじゃないか。

誰かを愛し、応援する全ての人が幸せであってほしいと素直に思ったし、悲しい経験で、無意識に自分自身の気持ちに蓋をしてしまわないでほしいと願った。

好きな気持ちも、うれしい気持ちも、
悲しい気持ちも、少し怒ってしまう気持ちも、
恐くなっちゃう気持ちも全部大切な自分の気持ち。
だからこそ、自分だけはその気持ちを否定してはいけないような気がした。


空は少し明るくなっていた。
夜が明ける。

夢がまた一つ叶う瞬間に立ち会えるこの喜びは、
何にもかえがたい。
8号車でいさせてくれて、ありがとう。

超特急は、新しいステージへ羽ばたいていく。
おめでとう。本当におめでとう。

#超特急 #君と、奏で

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?