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書くことで、私は満たされていく。

7人のメインダンサーと2人のバックボーカルで構成される、超特急に出会ってから、noteを始めた。

人生初めての推し活に戸惑う毎日を書いたエッセイをマガジンにまとめたので、私はnoteで何を書きたいのだろうと、改めて考えてみた。


私は、noteに「超特急、大好きだー!」の気持ちを書きたい。つぶやきでは足りないこの気持ちを、たくさん書きたい!初めてnoteに書き始めた時も、今も、これからもそれは変わらない。

でも、実際にnoteを書いてみると、
「大好きだー」がうまく書けず、
なぜか自分自身と向き合う事になっている。

だから、私は少し戸惑っている。
どうして、こんなことになってしまっているのか。


40代にもなると、現実から目をそらしがちな毎日で、もちろん、自分と向き合いたいなんて思っていない。

そもそも、思春期ではないので、
もう自分を探して旅はしないし、
生きる事の意味も考えてはいない。考えないようにしている。むしろ日常をこなすために、だんだんと「無」に近づいていた。

決まった時間に、決まった事をして、
いつもと同じ様なものを食べ、同じ時間に眠る。
日用品はいつもと同じものを買う。いつもと違うことがあると、リズムが崩れ、体調も崩す。だから、同じことを繰り返す事で、この意味のない毎日を何とか過ごしていた。

好きとか嫌いとか、うれしいとか悲しいとかの感情は邪魔だったし、周囲との関係性でも、円滑にいく事が最優先で、自分の気持ちは関係ない。自分が欲しいと思う物の判断基準は、費用対効果だった。

超特急と出会う前の私は、
いつの間にか「大人」という、
つまらない生き物になっていた。


ほぼ「無」だった私は、超特急に出会い、色々な感情があふれた。わくわくしたり、うれしくなったり、むっとしたり、落ち込んでみたり。

タカシさんが夢の舞台だと言っていた音楽番組で歌う姿を見て、TVの前で勝手に緊張したりもしたし、
リョウガさんに、たくさん笑顔をもらった。もちろん、彼らのパフォーマンスに、いつもドキドキしている。

この瞬間を、この気持ちを忘れたくなかった。
だから、大好きだーって気持ちを残したかった。

ただ、それだけ。
でも、うまくできない。


好きだー!的な事を書こうとして、
「…え?好きって何?」
「今の私の感情は、この言葉でいいの?」
自分の気持ちの事なのに、どう言葉にしていいのかわからない。超特急の何に、どうしてこんなに惹かれているのか。言葉にならない。

好きなものは好きなんだし、
理由なんてどうでもいいのはわかっているけれど、
わからないままでは書けない。

自分でもめんどくさいヤツだとは思うが、
長い年月をかけて作り上げられた「私」はすぐには変えられない。
仕方がない。
丁寧に、文字にしていくしかない。

こうして、私は完全なるnoteの住人となった。


だからnoteを書くとき、
自分の感情と向き合い、どうすれば言葉に、
そして形にすることができるのか考える。
どうして、なぜ心が動く瞬間があるのか考える。

時にそれは、幼かった時の記憶と結び付くし、
弱くて、カッコ悪い自分を受け入れる事になる。
困ったもんだ。

ただ、私はこの過程を通して、
心が満たされていく事を感じる。

明日の事そっちのけで、夜更かしする自分も。
TVの前で一喜一憂する自分も。
音楽を聴いて、通勤電車で涙ぐむ自分も。

言葉にし、形にすることで、
一つ一つがとても大切な事だと気づくから、
そのすべてを、自分を、
許してあげてもいい気がした。



超特急の事が大好きになりました。
人生で初めての推し活です。

大好きだと叫びたくて、noteを始めました。

彼らの夢を追う姿、少年のように楽しむ力、
喜び、時には悩みながら前に進む姿に心を打たれ、
自分がどんな人間か、向き合うことになりました。
そして、自分の事を少しだけ好きになれました。

大切なことは何を書きたいか、だけではない事に気づかされました。書くという事を通して、私は満たされています。


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