D-Genes 【短編小説】
ガチャガチャ。
キーボードを叩く音。
ガチャガチャ。
特段大きな音ではないのだけれど、やたら早いタイピングの音というのは耳につくものだ。
ガチャガチャ…。
その男は向き合っていたラップトップから目を離して、こちらに振り向いた。
「だまって後ろに立たれると集中できない」
俺は言った。
「話しかけたら話かけたで、怒るくせに」
「まあね」
男はあっけらかんと言う。
「それでなんの用?忙しいんだけど」
「新しい仕事だ」
そして不機嫌な顔になって続けた。精悍な顔が歪む。
「どうせまたろくな仕事じゃないんだろ?」
「そんなことないぞ、カル。お前好みの案件だよ」
「バカ言うなよ。前もそんなこと言って、つまらないプログラムを書かせたじゃんか」
俺はその言葉を遮るように言った。
「GENUS HETERO社からだ」
その男、カルは驚いた顔をした。
「うそだろ?だってヘテロ社は遺伝子検査のトップシェアの会社だぜ?なんでうちみたいな零細に依頼なんかするんだよ」
「さあてね。何か狙いがあるんだろうよ」
「なんの依頼?」
「詳しく聞かないとわからないが、解析ではなく、設計のようだ」
カルは俺をにらみつけた。
「マコト、本当に分かってるのか?」
「なにが」
「ヘテロ社みたいな企業が俺たちに依頼をするって意味だよ。あの会社は世界中のエリート研究者やエンジニアが集まってる。今回の依頼はそいつらの手に負えないか、あるいは別の理由でそいつらがやりたくないかだ。前者はありえない。俺たちの技術力があんな巨大組織を上回っていることは絶対にない。そうなると、後者だ。やつらは自分でその仕事をやりたくないってことだ。なぜやつらは自分でやりたくない……?」
俺はカルが言おうとしていることが想像できたが、黙っていた。
カルは勢い込んで言う。
「断言してもいい。奴らが俺らに頼もうとしているのは『実行したら狭い塀の中にぶち込まれる行為』だ。トカゲのしっぽとして俺らに目を付けてる」
たばこをしまっていたのを思い出して、俺は胸ポケットを探った。
口にくわえて、火をつける。
「カル。そう結論を急ぐな」
「おいおい、寝ぼけているのか?奴らが頼もうとしているのは、『設計』なんだろ?普通はそんな仕事、外注したりしない」
「もちろんわかっているさ。だがな。目に見えるリスクを避けようとしすぎると、結果的にさらに重いリスクを負うことになる」
「は?」
「つまり『依頼』じゃないんだ」
「どういうこと?」
「『要求』なんだよ。もし断ったら俺たちを潰すって暗に言ってきてる」
「潰すって…」
「敵対的買収を仕掛ける、俺たちの事業を徹底的にパクる、顧客を狙い撃ちで巻き取る。まあヘテロ社程の資金力があればなんでもできるわな」
「それで軍門に降るか?想像してみろよ。そしたらただの奴隷だぜ?もし刑務所入りを避けても、弱味を握られることになる。一生こき使われたいのかよ」
「だから結論をいそぐなよ」
「?」
「『俺たちが』やつらの弱味を握ればいい」
カルは目を見開き、3秒ほど俺を見つめた。まるで正気を疑ってるようだった。
「本気?」
「本気も本気だ。というより、あまり選択肢がない。お前の言う通り、やつらに従えば奴隷になるし、従わなければ潰される。ならば弱者を装って奴らを潰す以外にない」
「…世界一の遺伝子事業のコングロマリットを敵に回すのか…。アホすぎるだろ…」
「お前好みの仕事といったろ?」
カルは大笑いした。
「ここまでイカれてるとは思ってなかったよ」
「賛成か?」
まだカルは可笑しそうにしていたが、なんとか答えた。
「ははは、賛成だ。選択肢がないってのは同意見だしな」
「そうと決まればまず向こうの要求を聞きにいかなければな。詳細がわからなきゃ状況を把握しようがない」
「わかったよ。その前にヘテロ社の現状の情報を集めるよ」
「そうだな、頼む」
「それにしても」
「なんだ?」
神妙な声が俺は気になった。
カルは続けた。
「『GENUS HETERO社』か。ヘテロ属って…」
「それが?」
「ヒトはホモ属。ホモはラテン語で同じ、とか相同って意味だ。ヘテロってのはホモって言葉の対義語で異なるって意味だ」
真剣とも冗談ともとれるようにカルは言った。
「あいつらはヒトを超越するつもりかな」
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