不幸の手紙と分子進化学
某大学の構内。
洒落たカフェに、ラップトップとテーブルを挟んで、二人。背の高い痩せた男と、高校生くらいの少年。ふと、痩せた男が口を開いた。
「不幸の手紙みたいなもんだ」
「なんだって?」
「知らないか、不幸の手紙。まあ手紙なんてやり取りする世代でもないからな、君は」
「いや、不幸の手紙は知ってるけど。あれでしょ? あの、無差別に届く手紙で、受け取ったら、その手紙の内容を別の何人かに送らないと呪われる、みたいな」
「おお、若いのによく知っているな、そんな与太話」
「与太話って……。まあ、SNSとかでも似たようなのあるし。いやいや、そうじゃなくて、何が不幸の手紙みたいなものだって?」
「コロナウィルスだよ」
「は?」
「似てるだろ?」
「コージ、ばかなの? 手紙とウィルスのどこが似てるのさ?」
「感染の仕方」
「どう言う意味?」
「別にコロナウィルスに限らないんだが、ウィルスの感染拡大の指標に実効再生産数というのがある」
「ふうん、ニュースで聞くけど」
「簡単に言うと感染者一人が次の何人にウィルスをうつすか、ということを示した数だな(1)。だからたとえば実効再生産数が二十なら一人の感染者は平均して次の二十人に感染させるということになる」
「そうなんだ。それで? なんで不幸の手紙?」
「不幸の手紙も似ている。たとえば、『この手紙を二十人以上に送ってください。あなたのところで止めるとあなたに不幸が降りかかります。先日は◯◯という人がこの手紙を止めてしまい、亡くなりました』とかなんとか書いてあるとする」
「うへえ、趣味わる……」
「すると、この手紙をもらった哀れな迷信深い誰かは切々と手紙を書くんだ。自分の友達をリストアップして、コイツになら別に送ってもいいかなってやりながらな」
「趣味わる……」
「要するに、受け取るのがウィルスか手紙かの違いって訳だ。ウィルスの実効再生産数が二十の場合と、この手紙に書いてある人数が二十人って言う場合で同じような広がり方を見せるってことだよ」
「へえ。まあ確かにそういう、不幸の手紙っぽいのをもらった時も、感染するって表現する人もいるもんね。チェーンメールとか」
「似てるところはそれだけじゃないぜ」
「また嬉しそうにしちゃって……」
「手紙だったら『写し間違い』ってあるだろ?たとえば『二十人』って書くところを『三十人』って間違える、とか」
「まあ、手書きならギリギリあるかもね。字の癖強くてちゃんと読めなくて、別の数字書いたりすることも」
「すると、最初の手紙では実効再生産数が二十だったのが三十に増える。言わば感染力が増す」
「まあ、確かに」
「そしてウィルスも『写し間違い』があるんだよ。ウィルスの場合はこの『写し間違い』を遺伝情報の『変異』って呼ぶ」
「そういえば、コロナウィルスの変異株が出たっていうニュースもあるね」
「そう、ウィルスの感染力が上がるように遺伝子が『変異』することもあるのさ。もちろんウィルスの遺伝子に『次の◯人に感染する』なんてことが書いてある訳じゃないけど」
「じゃあなんで?」
「たとえば、ウィルスが人間の細胞にどのくらい付着しやすくなる、とかの情報の『写し間違い』が発生する場合だな。細胞にくっつきやすい方が、感染力が高くなる(2, 3)」
「なるほど」
「手紙の比喩は結構、的確なんだぜ? ウィルスの遺伝情報も文字で表せられるしな。AUGCって」
「DNAのことだよね? ATGCじゃなくて?」
「RNAウィルスだからな。Tの代わりにUが使われる。普通の生物は二本鎖DNAを遺伝情報として持っているが、コロナウィルスは一本鎖RNAウィルスだ(5)。RNAはDNAに比べて不安定な物質だし、一本鎖ならなおさらだ」
「なるほどね、だから『変異』が起こりやすい」
「そういうこと」
「でも、そんなに『変異』が入るのに、よく元の形を保っていられるね。全然違う生き物になりそう」
「これに関しては、選択って考えが重要になるな」
「選択?」
「そう。かの有名なチャールズ・ダーウィンの自然選択説。自然淘汰って言う方が、なじみがあるか?」
「自然淘汰なら習うね、学校で」
「生存に有利な形質を獲得した生物は数を増やし、不利な形質を獲得したら数を減らしてそのうち絶滅することが自然淘汰だな、大まかにいって」
「形質の獲得って?」
「まあ、『変異』によって得られる特徴かな」
「それでさ、自然淘汰とウィルスが元の形を保ってるのはなんか関係あるの?」
「大ありだよ。ウィルスの重要な機能が『変異』して壊れたら、そのウィルスは子孫を残せない。だから、数を増やすのは重要な機能を保っているウィルスだけなんだ」
「なんとなくわかるけど」
「これも手紙の例と似ている。さっきの不幸の手紙の一文の『不幸』と『亡くなる』という文字が『悪い事』と『この世からいなくなる』に書き間違えられても、あまり影響はないよな」
「そうだね。どっちにしろ不気味だ。この部分の言葉が入れ替わっても手紙は他の人たちに送られそうだね」
「じゃあ、もしさっきの不幸の手紙の一文の『不幸』と『亡くなる』という文字が『ラッキー』と『宝くじ当たる』に書き間違えられたらどうだ?」
「それはもはや書き間違えの域を超えているけどね」
「『この手紙をあなたのところで止めるとラッキーが降りかかる。この前止めた人は宝くじが当たった』」
「うん、別の不気味さはあるけどね」
「だが、こういう風に書くと、少なくとも別に他の人にわざわざ送らなくてもいい、という風になるだろう?」
「まあね。僕なら見た瞬間破るけど」
「そうして、『ラッキー』の手紙の連鎖は止まる。だが一方、『不幸』の手紙と『悪い事』の手紙は相変わらず増え続ける。別の言い方なら流通して増え続ける」
「ん、ちょっとわかってきた。大事な言葉の意味が変わったら、その手紙は絶滅するってことね」
「そういう事だ。これが、生物が形を保っている理由だ。大事な機能が『有害な変異』をしてしまうと絶滅する。結果的に大事な機能が残ったものだけが数を増やす。これは負の自然選択と呼ばれる(4)」
「負? マイナスってこと?」
「まあ、そんな感じだ。英語ではnegative selectionだけどな」
「あれ、じゃあ正の自然選択もあるの?」
「さっきの『二十人』が『三十人』に替わるのが正の選択だ。さっきのが『有害な変異』ならこっちは『有益な変異』ということだ」
「ウィルスとか手紙にとってはね。人にとっては有害じゃん」
「『有益な変異』をもったウィルスや手紙はその数を増やしやすくなる。そうして、もともとのウィルスや手紙よりも『変異』した者たちの割合がどんどん増えて、最終的にはそればっかりになる。それを指して正の自然選択という(4)」
「なるほどね。ちょっと面白い話だったよ。生物も不幸の手紙も進化の仕方が似ているんだね」
話がひと段落して、少年は机の下で足を組んで、頬杖をついた。すこし不思議に思っていたことを口に出す。
「それでさ、今日は結局なんの話だったの? コージは大学の助教なんでしょ? なんでわざわざ僕に不幸の手紙をメタファーにコロナウィルスの小話? 学生にしてあげれば?」
「いや、実は、この前、研究室に俺宛の郵便受けに手紙が来てな、馬鹿らしいとは分かってるんだが、学生の誰かがやったのかもしれないし、どうも始末に困ってて……」
「……あのさ、そういう不幸の手紙とかって与太話じゃなかったの……」
「実効再生産数を一にして君に送ってもいいかな……」
「……あほ」
-了-
備考
この小説は、2021/1/30にcoconalaというサービス(https://coconala.com/)にて依頼を受けて創作した小説を改変したものである。依頼者には、著作権の公表権に基づき、創作者(私)が納品作品を出版、発表する場合がある、という了承を得ているため、ここに公開する。
参考文献
(1)国立感染症研究所HP
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2502-idsc/iasr-in/10465-496d04.html
(2)日本医療研究開発機構HP
https://www.amed.go.jp/news/release_20210616.html
(3)Chihiro Motozono et al. (2021) SARS-CoV-2 spike L452R variant evades cellular immunity and increases infectivity,Cell Host & Microbe,Volume 29, Issue 7,Pages 1124-1136.e11
https://doi.org/10.1016/j.chom.2021.06.006
(ちなみに、細胞にくっつきやすい、という表現は厳密に言えば正しくない。この論文では、ある変異がウィルスに入ることで、spike stability(細胞に固定した際の安定性(意訳))が向上する、と表現していた)
(4)長田直樹(2019)進化で読み解くバイオインフォマティクス入門. 森北出版
(5)日本ウィルス学会HP
http://jsv.umin.jp/news/news200210.html