【日記】祖父と宇宙旅行/はじめてのnote
叔母の四十九日法要のため帰省。家族、特に祖父とはとても久しぶりの再会でした。前回の帰省は叔母の葬儀でしたが、その時は祖父がショートステイに行っており、会えずじまいだったのです。
以前に会ったときより目は落ち窪み、口の周りに皺が増え、短く整えられていた白髪は伸びて奔放に散っていました。
時間の流れを感じました。
「おかえり。今日来れなくなったって聞いていたけど、来れたようでよかった」
祖父はそう言って出迎えてくれました。
ありがとう、ただいま、と言うより先に、母が「お義父さん、来れなくなったなんて言ってませんよ」と諭すように言いました。
母の言葉が聞こえているのかいないのか、判断しがたい顔をする祖父に、やっと「ただいま、久しぶり」と言うことが出来ました。そういえば、認知症と診断されていたのだっけ、とその時ふと思い出しました。
手洗いうがいをして、茶の間でお茶をいただいていると、祖父が対角線上に座り、話し始めました。
「この町にある会社の株を少額だけど持っている」
「ホームの会長をやっていて方々から連絡が入って忙しい」
「連絡用の端末が支給されていて、ひっきりなしに鳴っている」
散らばった話をつなぎ合わせるとどうやらこのようなことを、手を変え品を変え繰り返し言っていました。
途中、台所で父が「話に付き合ってる」と母に言っているのがうっすらと聞こえてきました。
最初は本当のことなのか空想なのかわからず、「うん、うん」とすこし気圧されながら聞いていましたが、どうやら実際のことではないらしい、と聞く内にわかってきました。祖父は空想の中を生きていました。
祖父は次に、こんなことを言いました。
「天国はどこにある?って、それは、満月、三日月とか、ほら、あれ、お月さまにあるって聞いた。だから、ロケットに乗っておばあちゃんに会いに行った」
祖母は三年ほど前に亡くなっています。
その祖母に、天国にいる妻に会いにいった。今までの話とは毛色の違う話です。
祖父の話をどんな心持ちで聞けば良いのかわかったわたしは、穏やかに「うん」と相槌を打ち、先を促しました。
「役所で宇宙に行くための訓練をして、ロケットに乗った。訓練はしんどかった。宇宙に飛び出すとアメリカが見えて、みんな足が地面に着いて逆さまで、重力でくっついていた。日本に早く帰りたいなと思った。ロケットの中には他に300人くらいいて、みんな口々に帰りたいと言っていた」
苦労を話す祖父は、楽しそうでした。
しんどい訓練をして、帰りたいと思って。でも、おばあちゃんに会うために頑張って行ったんだね。
祖父と祖母の別れは突然でした。口論をして、祖母が怒ってその場を後にした直後、頭の血管が破れてそのまま他界。祖父が見た祖母の最後の姿は、怒っている姿。酷いことをお互い言ってしまったかもしれませんし、ごめんなさいも、きっと言えていなかったでしょう。
「おじいちゃんの面倒は私が見る」と生前言っていた祖母は、突然いなくなってしまいました。祖父の認知症は、その直後に発症したと聞いています。
今ここが夢か現実かも判然としなさそうな祖父が、祖母に会いにロケットに乗ってお月さまに行く、と、目尻の皺をさらに深くして、弾んだ声で、にこにことしながら楽しそうに話す様子は、少年のようでした。
「お月さまは遠くて、地球は青くてきれいだった。おばあちゃんに会うために長い長い旅をした」
聞きながら、なんだか視界が滲んできて、鼻がつんと痛みました。
「うん」そう言うのが精一杯でした。声が揺れないように気を付けながら相槌を打ちました。
結局、月に到着してからの話を始める前に、世界旅行をしてその中で深海探索をした話に移ってしまいました。その話も、いつまでも話に付き合っているわたしを見かねてか、父にお風呂を勧められ、中断しました。
お風呂に入りながら、これは現実のことなんだ、と思いました。
本当に祖父は、ロケットに乗って月に行って、祖母に会いに行ったのだ、と思いました。
祖父は、そんな素敵な現実の中を生きている。
とても、とてもうつくしいものを見た気持ちでした。
宇宙を旅してお月さまに到着した祖父は、クレーターに気を付けながら歩いて、手を振る祖母のところまで歩み寄ります。そして「久しぶり、元気だった?」と言葉を交わして、祖父は地球のお土産話を、祖母は月での暮らしぶりをお互いに話して、穏やかな時間を過ごすのです。もしかしたら「あの時はごめんね」というようなことも言いあったかもしれません。
青く光る地球を眺めながら、二人きり。
そんな情景が思い浮かびました。
同居する家族の苦労を思うと、とても無責任な感傷です。
それでも、うつくしかったのです。
今度は深海探索の話も聞いてみたいな、と思いました。