英語を学ぶ価値は英語を超える!
英語との出会い=素敵な人たちとの出会いだった
私は日頃から、
「英語を学ぶということは、あなたという人格を拡大させたり、人生の新しい扉を開けてUPグレードさせることに繋がる」
ということをコーチングを受講いただいているメンバーさまや、日々出会う単発講座の受講生さまたちにお伝えしています。
このようにお伝えするのには、もちろん根拠があり、その根拠というのが、私自身がそれらをみずから体験してきたという事実です。
今日はその私の実体験にもとづき、「英語が私の人生にもたらしたもの」についてお話ししたいと思います。
帰国子女でも留学経験者でもない私ですが、「英語がどうしても話せるようになりたい」と思うに至ったきっかけは、大学卒業時に行ったアメリカ旅行にさかのぼります。
その時、初めて訪れたアメリカで私を暖かく受け入れてくれたホストファミリーとの出会いがひとつ。
そしてもう一つは、映画などで憧れていた「自由なアメリカ文化」というイメージが、そのたった2ヶ月弱の滞在中に、とても臨場感をもって体に伝わってきて、その当時の感覚で
英語を話すことが、自分を解放することに繋がる
ということを直感と肌感覚で感じ取っていたということです。
20代前半当時の私は、自分に自信がなくてウジウジクヨクヨする弱いメンタルだけでなく、未来に対しても、希望というよりも恐怖心の方が大きかった、と言えるくらい、心に漠然とした不安をたくさん抱えていました。
そんな私にとり、英語学習の道のりは、自分を広い世界に開放してくれるものでした。
ホストファミリーと共有した時間はすべてが新鮮なだけでなく、心温まる素敵なもので、彼らを皮切りに、私は海外で出会う人にとても恵まれてきました。
今になって思うことなのですが、彼ら(アメリカのホストファミリー)のおかげで、「自分は海外で素敵な人と出会う」という、何か思い込みの型ができたように思ったりします。
旅行であっても、オーストラリアやイタリアで体験した長期滞在であっても、「私が出会う人は素敵な人ばかり」とどこかで信じて疑わない自分がいたので、出会う前からワクワクしていたし、実際、たくさんの素敵な人との出会いによって海外での時間は展開していったので、良くない人とのご縁というのは本当に想像できないのです><
私の中にインストールされた新しい考え方
いっぽうで、私が英語を上達させてきた過程には、日本で働いた時間もたくさん含まれます。
海外で出会う人たちだけでなく、日本人を含む様々な国籍の人たちとの出会いをグローバルな環境で経験したことで、英語はあらゆる人と『世界という土俵でコミュニケーションすること』を可能にしてくれました。
もちろん、イタリアではイタリア語を学びましたし、フランス語を学んでいた時には、フランス語を学ぶ目的で短期フランス留学も経験しました。そのように、英語以外の言葉が母国語の場所であっても、
「いざというときには英語」
というのが海外コミュニケーションの実態であるのをいつも痛感していました。
そう、英語が話せれば、どんな場所であっても、またどんな国籍の人であっても、コミュニケーションが可能になる。
そして、たとえば相手の人も英語が母国語でない場合であっても、英語でのコミュニケーションという『世界の土俵』にのってもらうことを堂々と要求することもできるのです。
だって、英語は世界共通語であり、皆にとってフェアな言語なのだから。
上手とか下手とかの以前に、自分の母国語で通じない時は、英語で話しましょう、が暗黙の世界ルールであるということ。
でもこれは逆に言うと、英語に自信がないと・・・海外とか世界とか、日本以外の領域に対していつも、未知の不安を抱いてしまう度合いは、より大きくなるのではないかと思うのです。
英語がまだそんなに上手ではない状態であっても、とにかく英語で話す。自分を伝える。これをやり続けてきた結果、今の私(=相手の国籍問わず、オープンな自分で向き合える)ができたのですが、振り返ってみると、日本だけに意識を向けていたら絶対に知り得なかった考え方や常識に触れることができたと思います。
たとえば・・・・
自分の常識は相手の常識ではないことが多い。国籍にかかわらず、相手を尊重する気持ちをもつことが大切。
相手と自分を「同じ」とする前提に立つのではなく、「違う」前提で向き合って尊重する意識でいると、違いを楽しむことができる。
疑問に思うこと、聞いてみたいことはどんどん尋ねることで、活性化するのがコミュニケーション。「尋ねない」という態度は、理解して合意したのと同じとみなされるし、大して関心がない、と受け取られることも。
尋ねたり、反対意見を述べたりするときに、感情と切り離すことを日頃から癖づけることが大事。議論している内容には積極的に向き合うべきで、そのことと相手や自分の人格は別のものだという認識になるには、ある程度訓練が必要。
「こうすべき」に従おうとして多勢の傾向をつかもうとするのは日本独特の文化。海外に出たら個人の違いが大きく、皆それぞれの考えで行動している。自分はどう思うのか?なぜこの行動に出るのか?日頃から考える癖と、それらはすべて自分の責任であること、そしてだからこそ自由でもあることを体感していくことが、海外の人と対等に渡り合うには必要。
などなど・・・挙げるともっともっとあるのですが、これらの考え方や行動規範を自分の人格の中につくってきたことは、私にとってはとても大きな成長をもたらしてくれたと思っています。
そしてこれらは、英語をテキストベースや資格試験目的だけで学んでいたならぜったいに!!得られることのなかった学びであるし、どちらかというと英語という語学力よりも、もしかしたら価値の高い学びなのかもしれないと、オトナ度が増した自分としては思ったりもするのです(笑)。
だ・か・ら・・・英語を学ぶ価値は無限大?!
人は、自分が受け入れられている安心感というのを無意識に求める生き物だと思います。
それは、個人的な繋がりという意味だけでなく・・・・
自分が人として尊重され、選択肢があり、自由に意思決定して行動できる権利が保障されている、その場所があるというだけで、自分という存在に絶対的な安心感を得ることができるのです。
私は、英語を身につけたことで、そしてその結果生きる世界が日本だけに限定されなくなったことで、この『絶対的な安心感』を得たのだと今、振り返って思います。
たとえ目の前の現実が上手くいかなくても、アメリカのホストファミリーの存在を思うだけで、力が湧いてきた。
自分の居場所がどこにもないように感じるときであっても、海外に飛び出すだけでそれはネガティブな思い込みなのだと気づくことができた。
自分は誰からも愛されず、認められない存在なのではないか?という究極の不安感が湧いてくることがあっても・・・・SNSで海外の友人とチャットするだけで、心をすくいとってもらう感覚があった。
そう、つまり、英語を学ぶ過程で得たものというのは、英語という語学力とは直接関係のない、
自分の存在価値に対する絶対的な安心感
でもあったのだと、心から納得する自分がいるのです。
だから、私は皆さんにいつもお尋ねし、そして伝えたいのです。
なぜ、英語が話せるようになりたいですか?
話せるようになったらどんないいことがあると思いますか?
その答えは、今は目の前の狭い世界の現実に留まっているかもしれません。
ですが、英語を学ぶという道を歩き始めたそのときから、あなたはひとつ、新しい扉を開けたことになります。
そして、そこから見えてくる世界は、今のあなたには想像もできない素晴らしいものである可能性がとても高いということを、ぜひ覚えておいてほしいのです。
もちろん、その扉を開いた後で、そこから入ってくるものを受け取るかどうかは皆さん次第ではある、ということはつけ足しておきますね!
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