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夫婦コンプレックス最近の気づき

感情ジェットコースターに乗ってるみたいに、感情に振り回されて生きてきてしまったことは、死ぬ間際の人生の終わりのときに後悔することになるらしいと何かで読んだ。


確かに感情的になり過ぎるよりは、感情というのはコントロールできるようになるべきものらしいと冷静に実感として考えられるようになったのもやっとここ10年くらいかもしれない。


自分はどんだけ自分勝手で自己中で、自分のことしか基本考えられないところがある人間だよなぁ、、、と感じる時がある。


周りが見えてなかったり、そうかと思えばすぐにイライラしちゃったり、ちょっと褒められたら調子に乗っちゃうようなところがあったり、、、っていう自分をふと感じてそれに向き合うと少し自己嫌悪にもなる。。50代になってもまだそんな感じな自分か、って。



それでもこれからも自分は自分として生きていくしかないから、そこは自覚して気をつけて謙虚になるしかないというか、
そう、そしてふと思ったのはもしかしたら私も夫も元々が自己中同士で謙虚さが足りない2人だったから、こういうふうな夫婦関係になるのも結局は似たもの同士だったからということもあるのかなと、、


そして結局は自分に見合う人としか出会わないとか言われるし、結局そこなのか、いろいろ感じることって結局私の内の反映なのか、、と思うと
この人と出会うことは結局は自分と出会うことだったのかと思うような気づきみたいなものがこれまでもたくさんあったような気がする。


まるで反面教師のように、どこか認めたくはないけどきっと自分にもあるであろう紙質を映し出してくれているような、そんなある意味では一卵性双生児みたいなひと。


私はひとりでいるのは嫌いじゃないけど、ひとりぼっちで生きていく老後はイヤだなぁと思う。


もろもろの言い訳みたいなわたしの思いや、夫に対しての愚痴やモヤモヤした思いは確かにある。


言うことやることに滲み出る今までの生き様や人間性、ちっぽけな人間が身近な家族にはエゴ丸出しで言わなくてもいい事までぶちまけて、ある意味では人間らしく、互いに許し合って傷を舐め合って生きてきたかもしれない私たち。



でもやっぱり互いの思いやりや気遣い、相手に対する配慮が少し足りなかったんだろうな、もっと大事にしなきゃいけなかったんだろうなということを夫婦コンプレックスの記事を書いてみたことで今更ながら思ったり感じている。

そしてこれまでの私の冷静じゃない独りよがりの感情的な暴走も今更ながら良くなかったなぁと思う。


『発する言葉にご用心』、、これは最近自分に言い聞かせている言葉だ。
言うことやることにできるだけ愛の心を持てるひとになりたい。


それでもやっぱりヤツ(=夫)の冷蔵庫を開け閉めする回数の多さ、そしてお酒を調達する音、これがイヤ過ぎると感じてしまう時もある。
ここで安易に文句を言ったりチクリと嫌味を言いたくなる発言にご用心。。発する言葉にご用心。。


散々その辺は今までぶちかましてきてしまったから、これからはいくら言っても変わらない相手を変えようとするんじゃなくて自分が変わるとしたら発する言葉に気をつけるそこなのかなと、そこを肝に銘じて接するようにはしている今日この頃ではある。


相手を変えようとするより自分が変わることで見えてくる景色というのがどんなものになるのか密かに実験中の私である。



#60