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さあ、どうしよう、、

ここ数日、前々回の記事で書いた私のノートの「覚え書きアーカイブ始めます‼️」の記事をどう書こうか、どういうふうにまとめたら面白いか、ずっとイメトレしたり、古い①のノートから(これは、私の下の記事を参照👇)ちょっとずつ読み返したり、今の気分で引っかかったコトバなんかを拾って書き出したりはしていた。



これまでもランダムに今まで書いたそのノートを引っ張り出しては読み返したりはしていたけど、それはただ読み返して自分が面白いというだけの話だったけど、さてnote上に共有アーカイブとして記事として残そうと思ったら、、ただそれを丸写しに書いてもなんかなぁ‥‥と思うし、楽しくはありつつも産みの苦しみのようなものを感じながらの作業になっている。


改めてそもそもの、こんなにも長い間私がこのノートに書きたくなってしまうっていうその目的って何なのか?
そして「それはなぜ?」ってことを最低3回は深掘りしてみようとやってみた。

→《それはなぜ?➀》
そのグッときたコトバを忘れたくないから、覚え書きとしてノートに書いておけはずっと頭の中には定着した記憶にはならなくても、記録として残しておけば、ふと読み返したときに、ああ、そうだったと思い出せるから

→《それはなぜ?➁》
結局は何度も読み返して、自分の血肉になるくらいにしたいと思ったから

→《それはなぜ?➂》
読んで終わりじゃ意味がないから

→《それはなぜ?➃》
自分を良くしていきたいから

→《それはなぜ?➄》
そもそも自分に自信がないし、少しはマシになりたいという思いがあったから

       ☆☆☆


とここまで書いてみてわかったことは、私がいろいろ忘れたくないと思ってノートに書くというのは、無意識にも結局は自分を良くしたいための言葉による自己啓発みたいな暗示のためだったのかなということ。

必ずしもいわゆる自己啓発本と言われるものだけではなくても、絵本の言葉の一節でも、誰かのインタビュー記事の中の言葉でも、歌の歌詞でも、それこそふとなんの気なしに聞いたり読んだりした言葉でも、グッときたら忘れたくなくて書きとめていた。

元々、ノートに字を書くのも好きだったというのもあるし、コトバのチカラにグッとくるタイプの私だったから、それを書きとめたりするのは楽しいし、苦じゃなかったというのもある。


でも結局、コトバを拾ったり集めたりしても、それを読むだけで満足してるだけじゃあんまり意味がないのかもしれない。

読んだらひとつでも自分ができることから、行動を変えていったり、行動に繋げていくことが大事なんだってことも何度も目にした。



そうすると、私の今まで書いたノート全部の蔵出しアーカイブを作るのも、すぐに読み返しやすいアーカイブにすることで、自分にとってもほんとの意味でそれをなんらかの行動に移しやすくするような覚え書きにしなきゃ意味ないよなぁとも改めて思うに至った。


ノートはたくさんある。
内容はともかく、ネタ帖ならたくさんあるから、今まで書いたノート全部の蔵出しアーカイブを作っていくことは私のライフワークになるだろうなと思う。


読み返すたびに昨日の自分より1ミリでも進歩、進化できるような行動指針や気づきのインスピレーションを得られるようなアーカイブにしたいなというイメージが湧いてきた。



最初にも書いたけれど、読み返してコトバを拾って記事にまとめるのって意外とむずかしくてなかなか進まない。



それこそただ知識の羅列の、可もなく不可もなくのChatGPTでもできるような、きれいでもっともな正解のような写し書きのまんまの記事にしたってしょうがないしなぁとも思うわけで、、


少しずつ、少しずつ私のノートのアーカイブを溜めていけたらと思っています。