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いいとこ取りの読書記録メモ②
No.6のノートより 2冊目の読書記録は、その頃たまたま図書館で見つけて借りて読んだ
川上卓也著『貧乏神髄』(2002 WAVE出版)です。
収入の少ない貧乏な暮らしでも、喰わずには生きていけないし、やはり喰うことは生きること。
ただし、旨いものを喰いたければ自分で作るしかないという著者の結論から、
〝収入の少なきことを嘆くよりは、空の青さに喜び暮らしたい〟
〝本当の貧乏を、お金は乏しくとも人間でありたいという最低限の思いを〟
〝喰うことは生きることだ〟
という思いから、貧乏を楽しく生き抜くには、食べる楽しさ、心を豊かにしてくれるような食事が不可欠で、より安く、より旨い飯を喰うにはどうしたらよいのかを考えることは、貧乏生活をする上では欠かすことのできない行為なのだと著者は綴ります。
私のノートに抜き書きされた本文の文章のひとつひとつが、今読み返してもなんかグッとくるんです。
それをそのまま味わうためにいくつか書いてみます。
「ふんわりと、力強く、艶やかに、その温かさは茶わんを持つ手のひら全体に伝わってくる。指で米を味わう感動、香りと甘味。米こそが、日本人に残された最後のアイデンティティなのです。米を噛みしめることは、日本の歴史を噛みしめること。日本の魂を取り入れることになるのです」
「道具、物が少なければ整理整頓も苦になりませんし、使いたいものを瞬時に取り出せるような工夫も簡単にできてしまいます。
ガスレンジ、鍋、フライパン、まな板、包丁、砥石、ざる、おたま、冷蔵庫。まあ、このくらいがあれば、大抵の料理はこなせます。
食に興味を持てば、台所に不要な物というのは簡単に見分けられるようになるのです」
「食という楽しみを紡ぎ出す台所。できるだけ少ない道具で、多くのことをできるようにする」
なんとも味わい深い文章だと感じます。
最低限の道具で、旨いごはんを私も作りたくなります。
この著者はそのとき一人暮らしのようですが、ミニマムに暮らすことを目指していた私は、この感覚を家族暮らしでも大いに参考になるような気がしました。
「楽しい食事を済ませた後は、後片づけが待っています。てきぱきと片づけを済ませることが、食を楽しむことの最後の課題。少ない道具、整理された台所なら、料理中に使い終わった物を手早く洗えますし、食器を洗うのも楽々こなせます。
食の楽しさは台所で始まり、台所で終わるのですから、とっても大切な場所なのです」
著者の台所愛が感じられる一節だと思います。
春夏秋冬のウイスキーのトリスと肴について書かれた文章があるのですが、そこも何とも味わい深いです。
春 セリのおひたしにトリス
夏 トリスのハイボールと冷や奴
秋 しいたけを肴にオンザロック
‥‥氷の音色が、虫の音と融け合う秋の夜長の晩酌。生きているって、酒が呑めるって素晴らしいなぁ。
冬 お湯割りとアツアツのアサリと白菜の鍋。出汁+少量の塩だけとゆずで作ったポン酢。残った汁での雑炊が格別
自分の手間をちまちまとかけ、自宅で晩酌をして季節を味わい、米の飯を喰って持久力を培い、時には薄力粉でパスタを楽しんだりする。
最大限の努力と最低限の出費でも、食を楽しむことは可能なのです。
お金に頼り過ぎず、自分の手間をかけて季節を味わいながら晩酌を楽しむ様子を思い浮かべると、なんだかそういうのイイなぁと感じます。
納豆について書かれた文章があるのですが、私がこの本の中で実は一番印象に残っている箇所で、本当にグッときます。
「納豆の魅力のひとつに、空気すらも旨さに取り入れると言う点が挙げられます。納豆を混ぜ、糸を引かせるという行為は、納豆に空気をからめさせるという行為です。
右200回転、からし、薬味投入、左50回転、たれ投入、右20回転
納豆に美学を求めることは、美食という名の芸術でもある。日々、芸術を追い求めようではありませんか。納豆で。
納豆が買える幸せを、納豆ごはんと共に噛みしめれば、気力は充実し、明日への活力も生まれるのです。
納豆の粘りを、人生の粘りに加えましょう。
今じゃすっかり忘れていたけれど、この頃、私も納豆を食べる時には
右200回転、からし、薬味投入、左50回転、たれ投入、右20回転と、真似してやってみたものです。
そして結論的には、貧乏は生きるという本物の遊びなのだと著者は言います。
貧乏をすると決めた力強さを真っ先に向けるべきは捨てることだとも。
貧乏人は、なにしろ身軽でなければならず、自分のやりたいことに対して思う存分に打ち込める場所をみつけられたなら、今すぐにでも飛んで行けるくらい身軽な生活でなければ、貧乏の面白味は半減してしまう。
目標は大胆に絶望的に物の少ない暮らしを目指して、物質という足枷から自分を解き放つために、思い出の物や過去の栄光だって胸の中にだけ残れば良いと。
消費は生きるために必要最低限の衣食住にとどめることで、消費社会に自分を消費させない、消失してしまう力も最小限にとどめることができる。
貧乏とは、財力だけでなく自分の持てるすべての力を定めた方向へ集束させるための術で、思想もなく、考えることも知らずに、物でしか自分を表現できない貧乏くさい生活へと転がり落ちるよりも、貧乏は創造する力を養うことができるし、その創造力はきっと必ず物に頼らない本物の個性を生み出してくれるだろうと著者は説きます。
貧乏生活の中で、貧乏思想を用いて〝考えるということ〟を取り戻すことは人間としてのリハビリとなり、やがて目標を見つけ、その思想を得たならば、貧乏思想は不要になるかもしれない。
けれど、目標を、自分の中に個を確立するための段階においては〝貧乏という思想によって考えること〟が大いに役立つという。
そうして考えることを取り戻したならば、考えなく消費を繰り返すだけの貧乏くさい者とは明らかに違う場所に降り立つことができると説くこの本は、なんというか人間が本当に創造的であるために満たされ過ぎてはならないという教訓を得たような気がした、私にとって忘れ得ない一冊なのです。
Amazonのリンクありました。そうそう、こんな感じの赤い装丁の本でした。