「オバサンのオバサンによるオバサン考」その2
前回の大雑把な投稿が、思いのほか反響があってビックリしました。
そして自ら感じたことは・・・
オバサンネタならいくらでも書ける
そう思いました。
「マジ、当事者強ぇーー」であります。
そして
やっぱり書きたいコトを勢いだけで文字にすることは、単純に楽しい。
さらに
自分の中から湧き出てくるモノを新鮮なうちに書いてみると、伝わる。
・・・って思ったので、今後も思いつくまま、特に推敲もせず書きます。
ちなみに私の座右の銘は「ゆっくり握った寿司はまずい」です。
スピード重視の一面がありますw
・・・という前置きが長くなりましたが
もう少しオバサンという人たちについての共通認識を深めたいと思います。
自分は違うし、自分の周りにもいないなぁ・・・
と思ったあなた!
相当呑気かもしれません。
「オバサン」って言うと
女性・・・「私は違う」
男性・・・「うんうん、世の中にそういう人たちいるよね」
・・・そうなんです!なぜか全員「他人事」w
しかーーーし!冷静に考えてみましょう。
全ての大人はオバサンまたはオジサンのいずれかです。
これは目に見える性別だけでなく、メンタルがオバサンとかオジサン・・・っていう場合も含めて、です。
妙齢以上の女性はもれなくオバサンであり
(注:オジサンでなければ間違いなくオバサンです)
妙齢の男性であるオジサンの横には必ずオバサンがいます
(パートナー、姉妹、お母さま、お隣の住人、お店の女将・・・もれなくオバサンです)
じゃ、どうして「自分は違う」って思いたいのか?
その理由は、単純にマイナスイメージが大きいからです。
前回の投稿のとおり、オバサンにはこの世の潤滑油として言葉にできない重要な「スキル」があります。
しかしその一方で煙たがられる理由は
「視野が狭いから」だと思います。
状況を把握しようとしない(出来る出来ないに関わらず)
周りを見ようとしない(見えるか見えないかに関わらず)
1歩引いて俯瞰してみるという視野を持たないということです。
その視野にも色々あって
例えば、単純に視覚的なコトで言うと、
エスカレーターを降りてすぐにグループで立ち止まって会話をしていませんか?
試着室を利用せずに、その辺でボトムスの試着していませんか?
(さすがにコレはいない?いや、いました)
そして目に見えない視野ならば、
静かにしなければならない公共の席で、この音量ならば大丈夫と思っておしゃべりしていませんか?飴を配っていませんか?
おしゃべりはいつでもたっぷりできます!
そして「飴ちゃん」を配りたいなら、ぜひ事前に!
また話の長さも問題です。
待ち合わせに遅れたからって、その言い訳を「昨日、ウチの主人が・・・」という途方もないスタートを切る長文ストーリーで説明してはいけません。
終わりの見えない長話&オチの無い話を聞いている方の身にもなりましょう。
そもそも、面白くもない話を聞くほど苦痛はありません。
更に言うと
めちゃめちゃ面白い話なんだけど・・・としゃべりだす類の人の話は、
総じてたいして面白くないとう悲しいデータもあります(自分調べ)
この辺りもトップレベルのオバサンを目指すからには、自らも肝に銘じていきたいところです。自戒の念バリバリ込めています!
このように、視野が狭い大人は単純に、
付き合いづらく、煙たいものです。
繰り返しますがオバサンに限ったことじゃなく、オジサンもまた然りです。
それはきっと寂しいから
視野が狭い=相手のことを考えない・状況を俯瞰できない
それはきっと「寂しいから」「自分をもっと認めてほしいから」というメンタルがベースになっていると思うのです。
そう、オバサンは寂しがり
(ちなみにオジサンはもっと寂しがりw)
しかし、その寂しさと共存することが
オバサンとしての「詫び錆」であり
真のオバサンになれる気がするのです。
そうです!我々オバサンには小娘にはないスキルがあるのです!
まずは
「老いる過程をアトラクションとして受け入れる」
「当事者を堂々と楽しむ」・・・かな。
まとまりませんが、こんなところで本日の考察はいったん終了。
また次回!