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自分からの信用を取り戻そう

毎度のことながら、お久しぶりの投稿です。

「理さんよ、今度は何があったんだい?」
そんな言葉をかけてくださる方がいらっしゃるのか分かりませんが、文章をしたためたくなったので2ヶ月ぶりにアプリを開きました。

前回の記事から、まさか年をまたいで旧正月すら超えてしまうなんて…。自分でも想像しておりませんでした。何度も文章を書きたいと思いながらも「めんどくさい」にかまけてしまって、日々の生活が忙しいことを言い訳にして…。

気付けば、毎月楽しみにしていた しいたけ占い の更新さえも見なくなってしまっていました。
(月額会費を払うほど大好きなのに)

前回の投稿から本当に色々なことがありました。公の場なのでnoteに全てを書けないのが残念なのですが、それはそれは刺激的で嫌というほど人の欲を目にしてばかりの2ヶ月。

そんな日常に嫌気がさし始めると、ぱたりと物事が進まなくなってしまって…。

改めて立ち止まることが出来ました。

自分がどう生きたいのか、何をしたいのか、何を欲しているのか、突き動かすものは何なのか…。

答え探しを続けようにも、考えることすらどこか面倒で、自分自身の人生なのに他人事のように、時間が過ぎていくのをただただ眺めていました。

ほんの数年前までは世間や何かに認められたい一心で、向上心という名の盾を持ち、承認欲求という剣を振り回しながら生きていけたのだけれど…。

自分自身と向き合えば向き合う程に、本当に欲しかったものは母からの承認だと気付いてしまいました。たった1人からの承認を得たいがゆえに、あの手この手で動き回っていた数十年。

「もう認めてもらえなくても良いから、ただ私は愛そう」と、がむしゃらになることを諦めるとあっさりと母からの承認を得ることが出来てしまい、逆に途方に暮れました。

今まで人生のほとんどが、母への復讐か承認のために選択してきたことばかりだったと気付いてしまい、途方に暮れていたのは”自分の人生を生きていなかった愚かさ”を受け入れるのにずいぶんと時間がかかっていたからかもしれません。

今まで数多くの人に「やりたいことは何?」そんな質問を繰り返してきたけれど、多くの人が「やりたいことなんて分からない」と言っていた気持ちが少しわかったような気がしました。

”誰かの人生を生きる”

そんなこと決して自分はしないと思っていたのに、長年自分の人生なんて生きていなかった。

自分が何が好きで、何が嫌いで、どんなことにときめいて、どんなことに嫌悪感を抱き、どんな風に日々を過ごしていきたいのか、どんなものを身につけ、どんな人と会話を交し、どんな空間に身を置き、どんなワンシーンを見たくて生きているかさえも分からない。

そんな私が、そこに居ました。

今も正直、自分のことを知っているなんてとてもじゃないけど言えません。むしろ知らないことばかりで日々戸惑ってばかりです。

ただ確かにあるのは、私自身が私を1ミリも信用してないということでした。思い返せば、私はいつだって誰かや何かの信用を得るために行動選択をしていました。

ある時は憧れの本に載りたい一心で始めたブログ。編集者の方から信用されなきゃ本に載れないだろうと思い、1年間何があっても毎日ブログを更新すると決め更新したこと。ある時は友人から信用を得るために1年間何があっても仕事を辞めないと続けたこと。そのどれもが達成出来たけれど、私の心は1度だって満たされていませんでした。

”信用得ることが、行動動機になる”

そんな自分に気付いたけれど、今度は何の信用を得るために動けばいいのか分からず親友に相談すると「自分からや!」と一喝

その言葉を聞いた瞬間、心から湧き上がってきた想いは「私のことが1番信用できない」というなんとも悲しい言葉でした。

何かをやり遂げたこともない。
何かを継続できたこともない。
何かを極めたこともない。
私は何もかもが中途半端。

それが、私が何年も抱えてきた一番の問題でした。そのことから目をそろし、そのことを指摘されるとおどけたり、とぼけたフリをしてきた。ずっとずっと劣等感を抱えていたのに。

「お願いだから触らないで!」

そんな気持ちを必死に隠してきたけれど、そろそろ向き合わなければと…この度、観念しました。

本当は…

誰かからの承認なんて、要らない。
誰かからの賞賛だって、つまらない。
誰にも評価されたくないし、
受け入れてもらいたいなんて思いたくもない。

なんともプライドの高いこと…。と本音を綴りながらため息が出てしまうけれど、私は何よりも自分からの承認や賞賛を欲している。自分自身から認められ、受け入れてもらいたいと思っている。その想いを、ずっと認められなかった。

何度も何度も羨ましいと思った。
「お金が欲しい」と動ける人を。
「𓏸𓏸になりたい」と動ける人を。
「子供のために」と動ける人を。

そして、見下していた。
そんなどうでもいいことのためにと。
そう思う自分を軽蔑していた。

子供のためにすら動けない自分、夢や理想のためにすら動けない自分、生活を維持するためや豊かになるためにすら動けない自分。なんと醜い生き物だと自分自身を軽蔑していた。

そして、私はどこかいつも諦めていた。

「明日生きてる保証なんてないのに」
「未来のために生きても意味が無い」

なんでそんなにも明日が来ると信じて生きていられるのだろうと他者を見る度に思った。

どれだけ頑張ったって積み重ねたって明日死んでしまったら全てが意味がないのに…どうしてそんなに何かを積み上げられるのだろうと思っていた。

そんな私をただまっすぐに見つめ、行動動機になる言葉を共に探し続けてくれた親友。彼女と話しながら導き出せた答えがある。

明日死ぬかも知らんから
言い残した言葉がないように。
自分からの信用を得るために
自分が立つ地面を作ろう。

どれだけ必要なものだと思っていてもお金のためだけに動けない私も、どれだけ与えてあげたいと思っていても子供のためだけに動けない私も、どれだけ変わりたいと思っていても夢や理想のためだけに動けない私も…。

そのどれもを一切否定することなく、全てを思いきり肯定した状態で導き出せた私だけの行動動機。(導き出してくれて本当にありがとう)

大好きで大切な人に、明日死ぬかもしれないからこそ伝えたいことが山ほどある。これから私の知らない時間を生きていくであろう娘に伝えておきたいことが山ほどある。言いたくないと思って言わないと選択した想いが今もずっと心の中に山ほどある。

その想いや言葉たちをただ書いていく。
それは、まるで遺言書。

明日生きてる保証なんてどこにもありゃしないからこそ、ただ今できることを、ただ今伝えたいことを、毎日積み重ねてみたい。

そう、思うことができた。

自分から信用されるように。
大切な人に言い残したことがないように。
私はこれから毎日遺言書を書いて生きます。

<Instagramに初めて投稿したもの>

誰かに認められるための人生を生きていた私が、自分の人生を生きていくために、少しでも未来のために生きれるように始めたこと。

まずは、1年間続けていこう。

利己を極めた先が、
利他に繋がっていくと信じて。

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