なぜ行動出来ないのか知ってる?
実は文章を書くことが出来なくなっておりました。いわゆる「スランプ」というやつです。
書きたいのに、書けない。
書くという行動できなかったのです。
恋愛小説「それでもと何度でも(現在noteにて公開中)」の続編になる第2章を書き始めたのは8月頭。インスタなどで続編待ってます!と嬉しいメッセージを頂いていたりもしたので、1日でも早く続編公開をと執筆を始めたのですが…
書いては消し、書いては消しを繰り返して、一向に書き進めることができませんでした。
第1章執筆時は「書きたい」ただその一心で、がむしゃらに向き合い約3万字の文章を3日で書き上げたのですが、書きたいと思っていた気持ちはいつしか「書かなくちゃいけない」に変化していくようになりました。そう変化したことに気付いた時、これはマズイ状態に陥ってしまったな…と感じました。なぜなら、書かなくちゃいけないという言葉の前には「書きたくないけど」という言葉が存在していると思ったから。どうしてあんなにも書きたかったものが、書きたくないに変化してしまったのか…。その謎を解く答え探しの日々を数週間送っておりました。
答え探しの日々で見つけた
”行動できないを、できるに変える方法”
「それでもと何度でも」の最終章公開までエッセイをお休みしますとSNSにて発表いたしましたが、久々にエッセイを公開いたします!
したいと思っていたことが、しなくちゃに変わってしまった方や、行動したいのにできずにいる方、今の自分を変えたいと思っている方のヒントになればと思い執筆いたしました。
あなたの変化のキッカケになれますように…
「~たい」と「~しなくちゃ」の違い
今回のエッセイを読んでいただくにあたって、「~たい」と「~しなくちゃいけない」について私がどう認識しているのかをまずは知っていてほしいと思いました。
私は「~たい」は、欲求。「~しなくちゃいけない」は、思考。という風に捉えて認識をしています。私の場合で言うと「書きたいは欲求。書かなくちゃいけないは思考。」ということになります。
欲求?思考?だからなんやねん!という疑問が湧く方もいる方と思いますが、私は欲求こそが人間の行動力を源だと思っているんです。
食べ”たい”から自分よりも大きなマンモスをやっつけ、行き”たい”から山を登り海を渡り、飛び”たい”から飛行機まで生み出したり…欲と共に発展してきた人類。
大それたことだと分かりにくいかもしれませんが、一目会い”たい”というだけで好きな人や推しに会いに行ったり、仲良くし”たい”という思いから勇気をだして誰かに声をかけたり、SNSで見た美味しそうな物を食べ”たい”からお店に訪れたり、見”たい”漫画や動画のためにアプリをインストールしたり…
書き出せばキリがないけれど、そんな経験が皆さんにもきっとあるはずです。「~たい」という欲求があったから不可能だと思っていたことを可能にし、恐れを勇気に変え怖いと思うものにさえ立ち向かった生物が人間だと私は思っています。
だから、私は欲求こそが人間の原動力(行動力の源)だと信じているし「~たい」という気持ちをすごく大事にしていて、欲に勝るものはない位に思っていたりします。
その欲求と対になるものと思っているものが、思考。さまざま未来を想定したり、経験則から最善であろうものを導きだし安全を確保したり、「〜たい」を叶えるための具体的な行動を見つけ出すために思考を私たちは日々使っています。
例えば、食べたいと思った店に行くための方法を考えたり、会いたいと思った人にどうすれば会うことができるのかを考えたり、仲良くしたい人にどんな言葉をかけたら良いものかと考えたり…私もこの文章を書くにあたって、どうすれば伝えたいことを分かりやすく伝えられるかな?と思考をフル活用して書いていたりします。
言わば思考は、欲求を叶えるための補助輪。しかし、正しく使うことが出来ないと安全ばかりを優先し行動を制限するストッパーにもなってしまうもの。特に「~しなくちゃいけない」という気持ちは、「本音はそうしたくないけど、~した方が良いから」という本当の欲求を隠し制限するものの代表格だと私は認識しています。
「〜しなくちゃいけない」は言い換えれば、すべき思考。「〜たい」ではなく、すべきことになってしまっているから湧いてくる「〜しなくちゃいけない」という気持ち。私はこの気持ちが湧いてくると、行動を止める何かしらの制限がかかり出したかもと警戒態勢に入ります。
ここまで欲求が大切!最強!すべき思考はダメ!くらいな勢いで文章を書いてきたけれど、欲求ばかりを叶えることが良いとは決して思っていないし、実際欲求だけで生きることは難しい。それに、何も考えずすべきことをしないのも私はいかがなもんかとも思っています。
例えば、家事や子育てなんてすべきことの連続。嫌いな洗濯もしなくちゃ日増しに着る服はなくなっていき環境も不衛生になってしまうし、ご飯を用意するのが面倒でも子供は曜日も時間も関係なくお腹すいたと騒ぎ出す。我が家は母1人子1人だからこそ、ほとんどことを私がしなくては成り立たない。すべきことをしないと生活が破綻してしまう。
欲だけを言えば、自分のしたいことだけをしていたい。本音ではそんなことを思ってしまうのですが、理想と現実があるのも事実。
だからこそ、欲を大事に出来る部分では欲に忠実でいたいと私は思っています。言い換えれば、今出来る範囲で欲を優先するという生き方をしているんです。
私にとって文章は、書きたいという気持ちを大切にしたいものであり、今はその欲求を優先にできるもの。なぜなら、好きで書いているもので誰にも強要などされていないから。むしろ書きたいと思っていない文章を届けることは、読者の皆さんの大切な時間を使っていただいているのに失礼過ぎるとすら思っています。
「書きたいと思って書いた
まっすぐな文章を読者様に届けたい」
その欲求があるのに、書かなくちゃいけないという気持ちが湧いてくるということは…本当は書きたくないということ。湧き出るように書きたいという気持ちがあったのに、書きたくないに変わってしまったのには、きっときっかけや理由があると私は思いました。
それさえ見つけることが出来たら、また書きたい気持ちが湧いてくるはずと信じて私は答え探しを始めることにしたのです。
今しなくちゃいけないと
あなたが思っていることは…
本当に、今すべきことですか?
本当は、どうしたいと思っていますか?
一度考えてから続きを読み進めてみてくれたら嬉しいなと思っています。
「~ない」に隠れているもの
文章を書けなくなってしまった私は毎日焦っていました。続編を待ってくれている人が居るのに…続きを早く出さなきゃいけないのに…PCの前に座ってみても思うように文章が書けない。
できない、できない、できない…。
文章を書くために仕事を辞めたのに…文章を書いて生きていくと決めたのに…早く書かなきゃ忘れられてしまうかもしれない…文章を書くことをやめたと思われてしまうかもしれない…言ったことをやらない人間だと思われてしまうかもしれない…
そんな風に頭や心は、終始不安や恐れでいっぱいになり、私は自分自身を責めるようになっていました。そうすると次第に、こんなことを思うようになりました。
「今の自分は恰好悪いから誰にも会えない」
「今の私には何にもない」
「今の私は大嫌い」
「文章を書いてすらいない私に価値などない」
そう思うようになって泣いてしまう日もありました。今思えば随分と大げさに物事を捉えているように感じてしまうのですが、この期間は大きな気づきを与えてくれたんです!
私にとって文章を書くという行為は、自分が想像していた以上に大きな存在になっていたこと。出来ないばかりを数えだすと、あっという間にネガティブになり自尊心すらなくしてしまうこと。
けれど、そのことに気付いてもすぐには気分を変えることが出来ませんでした。そこで私は、「書けないじゃなくて書かない」と決めることにしました。書けないことで、出来ないという気持ちがいっぱいなり自分を責めてしまうのなら、書かないと決めれば必然的に出来ないが減っていきネガティブな状態から脱出できると思ったから。
出来ないではなく、あえて「しない」と選ぶ。
これは効果絶大でした!
しないと決めたことで自分を責めることが減ってきたんです。そして私は、そこから冷静に物事を見れるようになっていきました。それからは、書く以外の方法でありとあるゆることを試していきました。
例えば、小説の要素が足らないかもしれないと思った時には映画や漫画を見たり、アート作品に触れてみたり…
人との関わりで感じる感情が、作品に類似している部分はないかと感じてみたり…
心を癒すために、美味しい料理を食べたり、出来たという気持ちを増やすために手料理を作ったり、掃除をしてみたり…
そうこうしていたら、書けないのじゃなくて書かないだけだとハッキリと自覚したんです。
やれないのじゃなくて、やらないだけ。
スランプや葛藤は自分が生み出しているだけ。
自分が「やらない」を選んでいるだけ。
その事実は、元気を失くしてしまっている状態では受け入れることが出来なかったもの。事実をまざまざと見ることで余計に自分を責めてしまう材料にもなり兼ねない状態だったのだと今は思っています。
だって、事実を認めてしまったら言い訳が出来なくなってしまう。誰かや何かのせいに出来なくなってしまうから。でも、事実は出来ないのではなくてやらないだけ。
「書けない」という気持ちに
「やらない」を私は隠していただけでした。
そのことを受け入れることが出来たから、私は「書けない(できない)理由探しではなく、書かない(やらない)理由探し」を始めました。
あなたが今、
出来ないと思っていることは何ですか?
まずは、出来ないのでなく
「しない」と選んでみてください。
落ち着いたら出来ないのではなく
「やらないだけ」と受け入れてみてください。
行動できなかった本当の理由
書けないのでなく「書かない」そう決めたのは何故だろう?「書きたくない」と思ったきっかけは何だろう?そのことを、考えるために私は1冊のノートを出しました。
白地に星座の箔押しがされた鍵付きのノート。
このノートは自分の本音が分からなくなった時に使うための秘密のノートで、2冊目に突入しているほど愛用しているもの。誰にも言えないような本音をこのノートの中では出してもいいというルールにしているから、鍵がかかるノートを選んでいたりします。
そのノートを使って、自分とお話する時間を私は設けました。やり方はカンタン!まるで友達とお話をするかのように、質問を先に書いてそれに答えていくだけ。
例えば、「久々にお話しするけど、今の心境は?」と質問を書き込む。その質問に対して湧いてきた今の気持ちをそのまんまノートに書き写していく。
今回の私の場合は「ここのところ自分の気持ちを少しおざなりにしていた感があったから、嬉しい反面怖さを感じてる。自分のことを少し嫌いになっていたから、向き合いたいと思う」と返事を書き込んだ。
その後は、会話するように気になったことを聞いていく。例えば「嫌い?それはどうして?」のように質問をひとつだけ書き込んでいく。
大事なのは、思ったことをかき消さないこと。
疑問に思ったことや、率直に思ったことをただ書き込んでいく。素直でいること。
私は、今回秘密ノートとのお話で「自分のプライドの高さ」から書かないと決めていたことを見つけることが出来た。
なぜやらない(書かない)のかと問うと、
「逃げているだけ甘えているだけ。評価されること、現状のスキルを露呈することに怯えている。やらなければ、評価されることも、スキルを露呈することもないから。傷つきたくないから土俵にあがることさえやめてしまっていたんだと思う。自分が哀れで、無知で、口ばかりでイキがっていることをこれ以上露呈したくなかった」
そんな言葉が自分の中から湧いてきた。それを一言一句逃さぬように素直にノートに書き込んでジッと見つめたら「私はめちゃくちゃプライド高かったんだなー」と知ることが出来た。
「それでもと何度でも」の第一章を書き終えたあと、さまざまな言葉をいただいた。褒めてくださる方もたくさん居たのだけど、改善点を伝えてくれた方や、率直な意見を頂いたこと。読みもしていないのに偉そうなことを言われたこともあった。あんなん書くん辞め!なんて言われたりもした。
嬉しいこともあったけど、悔しかった。一生懸命書いたのに…発表するのすらとても怖かったのに…そんな気持ちを全て否定されたようにも感じた。「ならお前も書いてみろよ!」なんて思った日もあった。
これが書かないと無意識で決めた、きっかけだったのか!と気付いた。けれど、誰にも腹が立たなかった。本当は書きたいのに、人の目が怖くて失敗することが嫌で書くことさえやめようとしてしていただけだったと気づいて「そんなことで?私は馬鹿じゃないか!」と思って笑ってしまった。
だって、そのことをきっかけにしたのは自分だったから。そのことに気付いたら久々に「書きたい」がやってきた!
まだ小説を書くほどの書きたいが戻ってきていないので、まずはエッセイからと書いてみようと思って書き出したのが、今回の「なぜ行動出来ないのか知ってる?」だったりする。
自分の気持ちとゆっくり向き合いながら、最終的に見つけたのは「やらないメリット」があること。そして、些細なことで人はやりたいことをやりたくないことに変えてしまえること。
私の場合は、無駄なプライドを守るために書かない方が良いと判断していたのだから、ほんとお恥ずかしい限りです。けれど、「やらないメリット」に気付かずに行動できないことに悩んでいる人は案外多いんではないかと思って今回のエッセイを執筆することにしました。
「本当は○○したいのに、でも○○だから」となにかと言い訳をつけては変わることを恐れている人。「~しなくちゃいけない」ことばかりして本音すら見えなくなっている人。「自分には出来ない」と思い込んでしまっている人。
行動できない人は多種多様。
だけど…きっとみんな気付いてる。
言われなくても分かってる。
「行動しなきゃ何ひとつ変わらないこと」
本当は行動したいけど「できるかも」って思えないから、悩んだり苦しくなったり、自分に嘘ついてしまったり、逃げてしまったりしちゃうだけ。と私は思っています。
ただ行動すれば良いだけのことなんて分かっているんだけど、それが出来ない。だって一歩を前へ踏み出すことで、その先の未来がどうなるか誰にも分からないから。やっぱり怖いことだし、不安にもなってしまう。現状の方が安心を感じていられる。踏み出せば得れるものがあることを知っているけれど、失うものもある。
だから、行動できない。
そんな時がある。
ただ、今がそんな時なだけ。
けれど、もし1歩踏み出すことが怖い中でそれでも少しでも踏み出してみたいと思った時はあなただけのノートを開いて、自分が何に恐れ、何に不安を感じ、やらないメリットは何かを知り「やりたいことをやらないと決めた理由」を見つけてあげてみてほしい。
そして、やらないメリットを馬鹿らしく思ったら行動してみればいい。やってもやらなくてもいい。やりたいことを、やることが全てではない。本音を知って「しない」選択をすることも、勇気ある行動のひとつだと私は思う。
けれど、私の欲を言っていいのなら…
これを読んでくださった読者の皆様が、自分の可能性を信じ挑戦する姿を見てみたいし、そこで経験したことや「やってみることにしたよ」って言葉を聞いたり見たりしてみたい。
この記事が、誰かの答え探しのヒントの一つになったら良いなと思っています。