途上国を旅するリスクとそのリターンについて
午前11時を回った。私は意を決したように宿を出る。今日は金曜日。バングラデシュは休日だ。
滞在しているホテルから数ブロック先に、お気に入りのカフェがある。
前面ガラス張りで、光が沢山入ってくる小さなカフェだ。いかにもシアトルから輸入してきたような内装をしており、豆から挽いたコーヒーを出してくれる。途上国で一般的に出されるNestleとは違う、しっかりしたコーヒーだ。
私はリュックにパソコン、Kindle、本、カメラを詰め込み、いつでも外出できる準備をする。服装は限りなく観光客と思われないよう、履きなれたジーパンにTシャツ、サンダル。本当はカミューズ(バングラデシュの女性が着るワンピース)を着たいけど、残念ながら洗濯に出してしまった。
なぜ意を決したようにカフェに向かうかと言えば、その決断を下すまでに葛藤があったからだ。
バングラデシュは、外務省の海外安全情報でいうレベル2にあたる(※2019年2月現在)。不要不急の渡航は止めてください、という地域だ。2016年のダッカ・テロ事件で邦人が犠牲になったこともあり、気軽に外を歩くことは許されない。
基本的に仕事以外での外出は禁止。週末ともなれば、ホテルに丸2日こもる羽目になる。軽い軟禁状態だ。
肌の黄色い女性は、ここダッカでは必要以上に目立ってしまう。一歩外に出れば、たちまちみんなの視線を集めるだろう。
何か起きたらどうしよう。
ドアノブに手をかけながら、一抹の不安が頭をよぎる。
何をそんな大げさな。たった数百メートルの距離じゃないか。何を恐れる必要がある。その数百メートルの間に何か起こる方が奇跡だ。
そんなことはわかっている。でも、万が一があるかもしれない。もし事故にあったら。もし誘拐されたら。もしテロにあったらー。
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バングラデシュで仕事をしていると言うと、「危なくないの?」とよく聞かれる。
その度に私は返答に困る。
「危ないと言えば危ないけど、危なくないといえば危なくないよ。」
いつもそんな間の抜けた答えを返す。それしか答えようがないからだ。
この質問に答えるには、そもそも安全とは何かを考えなければならない。安全の定義をグーグル先生に聞いてみると、
「安全とは、許容できないリスクがないこと」
と返ってきた。ふむふむ。納得いくようでよくわからない。
「許容できないリスク」とは一体何なんだろう。
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海外、特に途上国を旅するリスクとして思い浮かぶのは、病気、盗難、軽犯罪といったところだろう。テロや自然災害に巻き込まれる恐れもあるかもしれない。
当たり前だが、これらの危険は日本にいても起こりうる。
では、途上国にいるとこうした危険な目に遭う確率が飛躍的に高まるのだろうか。飛躍的かはわからないが、おそらく答えはイエスだろう。
そもそも100%安全な旅なんて存在しない。
以前受けた安全講習では、「移動が発生するだけでリスクは必然的に高くなる」と習った。だからリスクゼロ、つまり絶対安全じゃないと嫌だという人は、日本、もっと言えば家にこもっているのが最善策ということになる。
人は通常、リスクを取るからには何らかのリターンを期待する。
バングラデシュを旅するリターンは、ハワイなどのリゾートを旅するリターンに比べ、おそらく相当見えにくい。
ハワイ旅行に投資すれば、癒しという魅力的なリターンがほぼ確実に得られる。それに比べバングラデシュはどうだ。おカネと時間をつぎ込んで、確実に得られるのは排気ガスと渋滞と喧噪とカレー。その先に、下痢、風邪、交通事故などのオプションが乗っかってくる。誰がどう考えてもハワイへ行った方が良さそうだ。
それなのに、なぜまたここへ足を運んでしまうのか。
例のごとく、一年の半分以上を途上国で過ごす先輩に聞いてみると、「自分の目で見たい景色があるから」という答えが返ってきた。
「テレビや雑誌からでも情報は得られるけど、俺は自分の目で見て感じたい。ハワイは危なくないっていうけど、ハワイって銃社会の国、アメリカだよね。であれば危険な国と捉えることも出来る。
でもみんなそうは考えない。なぜなら、ハワイは安全な国だって周りの人が言ってるから。自分が行ったことはなくても、周りの人がそう言うから、すっかりその国を知った気になっている。
でも、バングラデシュに行ったことある人って周りにいないよね。だから知らない。人は知らないものを恐れるんだよ。」
確かにそうかもしれない。私もバングラデシュに来るまでは、漠とした不安があった。何か具体的な怖さを感じるというより、未知なものに対する防御システムが作動する感じだ。
―自分が行ったことはなくても、周りの人がそう言うから、すっかりその国を知った気になっている。
そんな人間にはなりたくない。そうか。だから私は向かうのか。自分の目で、自分の肌で、五感をフルに使ってその国を感じるために。
***
うちのバングラ事務所代表は、独立戦争を戦った人だ。
彼は自分のことを“フリーダム・ファイター”と呼ぶ。10代の頃、自分たちの言語や宗教、文化を守るために武器をとって戦った。いつもは穏やかな彼も、独立戦争の話をするときは些か熱っぽくなる。
彼は敬虔なムスリム(イスラム教徒)で、毎朝5時に起床して神に祈りをささげる。私がイスラム教に興味があると言えば、メッカに巡礼した時のことを嬉しそうに話し、バングラデシュの文化が知りたいと言えば、快く家に招き、大量のご馳走でもてなしてくれる。
そうやってバングラ人の情熱や信念、ホスピタリティに触れている内に、私にとってこの国は、見知らぬ土地ではなくなった。
リスクを恐れて日本にいたら、独立戦争を戦ったフリーダム・ファイターの話を直接聞くことは出来なかっただろう。またそこから派生して、日本における戦争や宗教の意味について、考えを巡らすこともなかったかもしれない。
たった1週間でも海外に行くと、新鮮な気持ちで母国を感じることができる。それまでの日本の日常が、また違ったものに見えてくるのだ。
ちなみに私が途上国に行く際は、次の3つの約束を自分に課している。
一つは、基本的な備えを済ませておくこと。予防接種や保険加入、外務省の旅れじへの登録、滞在先や飛行機の情報を身内に知らせておくなど、事前にできることはやっておく。また、その国の文化や習慣についても調べておく。他人の家にお邪魔するときの最低限の礼儀とマナーだ。
二つ目は、決して無理をしないこと。少しでも危険だと感じたらすぐに引き返す(もちろん日本政府のお世話になる可能性のある危険区域には近づかない)。人間も動物。危険を察知する動物的な勘を甘く見てはいけない。
そして最後は、心をオープンに保つこと。起きた出来事をすぐに評価、ジャッジしない。これが最大のリターンを得られる最も大切な心構えだ。
もし友人が、正体不明のリスクに怯えて外の世界に出るのを躊躇していれば、その正体を掴みに旅にでることを、私は迷わず勧めたい。
私たちがリスクと感じることは、案外妄想に過ぎなかったりする。小さい頃「絶対触るな」と言われたストーブに触れ、やけどをしながら痛みを覚えたように、本当に危険かどうかは、自分で体感してみないとわからない。
そうした痛みを伴う経験の積み重ねが勘となり、自分なりの「リスク許容範囲」がわかるようになるのではないだろうか。