元経営コンサルタントの起業家が38歳から挑戦するデザイン留学(仮)への日記帳
留学出来るかはわからないけど、カッコ悪いプロセスも晒していこう
いきなりですが、これからデザイン留学を考えている方に向けて、デザイン留学を目指す38歳の私が無事留学に至る(だろう)までの道のりを共有したいと思います。
特にデザインのバックグラウンドが一切なく、どちらかといえば文字中心・左脳ばかり使ってきたキャリアの人間が、なぜデザイン留学を目指すのか。何に苦労するのか、そもそも合格できるのか。できるだけ赤裸々に書いていくつもりです。
普通このようなブログは、すでに合格した人・実際に留学している人が書いていることが多いです。
もちろんそれはとても有用なのですが、実際自分が留学を目指すことにして、あまりに出願や合格までの苦労を現在進行形で発信するブログが少ないことに気づき、「だったら自分が発信して、少しでも誰かの役に立てたら良いのでは?」と思うようになりました。
まだ何も結果を出していない状況で発信するのはためらいもありますが(というよりカッコ悪い自分を晒したくないだけですが)、それでも今回はあえて留学準備のあれこれを綴っていきたいと思います。
私のブログ方針は「自分で書いたブログが有益か無益かは読み手が決める。自分で自分が書いたものを勝手に評価しない」です。
もし私が発信する内容に勇気づけられ、「自分も留学にチャレンジしてみよう!」と思ってくれる人が一人でもいらっしゃれば嬉しい限りです。
38歳、なぜ今デザイン留学か?
ここからは急にパーソナルな話になりますが、自己紹介も兼ねてなぜ今デザイン留学を目指すのかを話したいと思います。
一度立ち止まるために奈良へ移住
私は4年前に東京から奈良に移住してきました。
今話題の地方移住とか2拠点生活とかが目的ではなく、単純にパートナーのUターン帰省にくっついてきただけです。
とはいえ、4年前の私は何となく人生が空回っていると感じていて、どこか「今の状況から一旦距離を置きたい」と思っていました。
大学院では国際公共政策を学び、国連でインターン。卒業後は経営コンサルティング会社に就職、その後は海外やベンチャーでキャリアを積み、ついには憧れだった開発コンサルタントへ転職。
…字面だけ追えば順風満帆な人生に見えるかもしれません。ただ実際は経営コンサルとしてのキャリアは中途半端、ベンチャーではメンタルを病み、開発コンサルティング会社では同期の中で一人メインプロジェクトに配属されず、「自分の何がダメなんだろう」と自信をなくす日々。
「今後歩んでいきたい人生は今まで来た道の延長にあるのだろうか?」「何かを抜本的に変えないと、いつも同じところで同じ壁にぶち当たる気がする」という思いが消えない。
そんな時に相方が地元の奈良へ帰ると言うので、ここぞとばかりに移住を決意。一旦今いる場所を離れて、自分の意思も手放して、目に見えない何かに身を任せることにしました。
アートとデザインとの偶然の出会い in 奈良
そんな勢いだけで奈良に来たので、当然就職先は決まっていません。一年目は運良く大阪で仕事を見つけましたが、やっぱり奈良で働きたいという思いが拭えず、最終的には起業という道を選びました(起業の話は長いのでここでは割愛します)。
結論から言うと、この起業こそが私がデザイン留学を目指す道の始まりだったのかもしれません。
この起業を通して、私はある4人の方に出会いました。
一人は奈良を代表する企業の会長さん。もう二人は工務店とホテルやギャラリーを経営されているご夫婦。そしてもう一人は世界でも個展を開催するほど人気の金工作家さん。
東京で会社員をしていた時には出会ったことのないタイプの方々でした。
着るもの、食べるもの、住む家、泊まるホテル、飾るインテリア、選ぶ仕事、すべてにこだわりが詰まっていて、センスが抜群。
ありていに言えばオシャレな人たち。
もちろん東京にもオシャレな人はわんさかいますが、私が所属していたコミュニティはあまりに偏りすぎていて、仕事でもプライベートでも交わることがありませんでした。
奈良に来て初めて「こんな世界で生きている人たちがいるのか」と知りました。
そんな尊敬する彼らが私の力を借りて英語を学びたい、海外に挑戦したいと言ってくれるのだから、これは私も彼らを全力でサポートしたい。
そうしてこれまでほとんど勉強したことのないアートやデザイン、工芸や建築について勉強する日々が始まりました。
美しいものに溢れる奈良とゆっくりとした時の流れ
偶然にも、アートを勉強する上で奈良という環境は最高でした。
猿沢池から眺める五重塔、雄大な自然と戯れる鹿、法隆寺の柱、春日大社の灯籠、電車から眺める朱雀門、あちこちで見られる仏教美術、伝統工芸の品々、数百円で入れる県立美術館…。
東京にいた頃には見向きもしなかった周りの景観を、ゆっくり眺める時間と心の余裕がある。
最初は観光客気分で全てが新鮮に映っているだけ。すぐに飽きるだろうと思っていました。
しかし移住して4年目の今もその輝きは色褪せず、さすが1300年の歴史が守ってきた美しい景観だと毎回感動します。
(余談ですが、奈良に住んでいる人たちは「奈良には何もない」と口癖のように仰います。でもそれは間違いです!!声を大にして言いたい。奈良は美しいもので溢れているし、ポテンシャルしかない!!)
トランジション理論の典型的な終焉の中にいた
出会う人や住環境の変化もあって、自分の中に長年しまい込んでいたクリエイティブ・マインドの欠片のようなものが、沸々と湧き上がってくるのを感じました。
「そういえば私、小中学校の頃は4教科(音楽・美術・体育・技術家庭)大好きだったよな。あの頃の気持ちはどこに行ったんだっけ?」なんて、理由付けのために古い記憶まで持ち出して。
同時に、大学~大学院~社会人の合わせて10年ほどのめり込んだ国際協力や経営コンサルティングの世界がそっと閉じていくのも感じていました。
私が東京を離れた時期は、アメリカの心理学者ウィリアム・ブリッジスが提唱したトランジション理論でいう第一段階の「何かが終わるとき(終焉)」をちょうど過ごしていたんだ思います。
奈良に来てからの2~3年は第二段階のニュートラル・ゾーン(中立圏)。新しい何かを模索しながら、ひたすらフワフワした状況を受け入れる時期です。すぐに決断を下すこと、効率性や生産性が支配する世界に慣れきってしまった人には、このニュートラル・ゾーンは辛いかもしれません。
私の場合、この数年間のフワフワを受け入れた結果出した答えが、デザイン留学でした。
そしてデザイン留学を目指す今は、第三段階の何かが始まるとき(開始)に当てはまるんだと思います。
自分で決めたくせに、「本当にこの道でいいんだろうか?」「私がアート?デザイン?」「キャリアは?お金はどうするの?」と、毎日不安と格闘しています。
そんな時は「ま、死にはしないだろう!」と、死ぬこと以外かすり傷理論を都合よく持ち出し、やれることに一つ一つ集中するよう切り替えています。
ちなみにこのトランジション理論は佐宗邦威さんが著書『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』や『じぶん時間を生きる TRANSITION』で紹介されていて、初めて知りました。人生行き詰ってるな~という人はぜひお手に取って読んでみてください。
(こうやってすぐ理論に当てはめてスッキリしたがるところが、自分が全然コンサル思考から抜け出せていないところですね。)
スタートラインに立って初めてぶつかる大きな壁
そんなこんなでデザイン留学を決めたものの、早速大きな壁にぶつかっています。大学院のリサーチとポートフォリオの壁です。
その話についてはおいおい書きていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。