私がサンタだった日のこと
「恋人がサンタクロース」という歌があるくらいなので、彼がサンタなんてこともあるのだろう。
1980年に発売され、小学生から中学生の頃に何度もすりこまれ聞いた曲。
サンタは偶像だと知り、クリスマスが楽しいのは子どもだけだね。
子どものくせにそう思っていた私に、ささやかな夢を運んできてくれた曲だった。いつか私も"隣のお洒落なお姉さん"になるんだと思いながら。
にもかかわらず、私はかなりとんがってひねくれた乙女に成長した。プレゼントとかクリスマスとか「なにそれ」的な冷めた目で見ているようなイヤな人間に。
何欲しい?なんて聞かれても「何もいらない」と平気で答える可愛げない女子だった。あの頃の私に付き合ってくれた男性諸君には感謝しかない。私なら絶対お断りする女だ。ロマンティックのカケラもなかった。
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そんな女子にも、親となったあかつきには、X'masは一大イベントとなる。まさか冷めた女子が、サンタになる日がくるとは思ってもみなかった。
母娘3人で暮らす我が家は、母の私がサンタに成らざるを得ない。何も知らぬいたいけな娘ふたりを前に「サンタ?そんなものいないに決まってる」と言えるほど、私はとんがってはいなかった。少しは人並みの感情を持ち合わせていたことにホッとする。
子育てとともにすっかりまるくなってしまった私。可愛い我が子を喜ばせるがために、あれやこれやの手を使い娘の欲しいものを聞き出し、作戦を練る。
なんて楽しいんだ!
とんがっていた私よ、青春時代を棒に振ったね。自分を殴ってやりたい。
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苦労したということで印象に残っているのは娘6歳。電子キーボードを欲しがった年のこと。
いろんなジャンルの音楽が百曲以上も入っていて、光るキーをたどっていけば一曲弾けるとかなんとか。
当時はまだ目新しくて、お値段は三万円くらいだった。さすがに諭吉さんが三人も登場するものは、サンタから入学前の子どもには早いかな、と悩んでいたところ、同じ年齢の娘を持つ同僚も、全く同じものを欲しがっていると言うことだった。
買うかどうか、そしてその大きなものをどうやって当日まで保管するか、などよく話をした。
結果、私は購入という選択をした。
そして今振り返ると、成人前に与えたプレゼントで一番高価なものとなった(と今気付いた)。
購入の決め手は音楽が好きな子だったから、というのが一番シンプルな理由だったが、実際小中高大と学生時代は吹奏楽三昧だった。だからヨシとする。
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母子家庭の辛いところは、保育園に預けている以外は買い物も全て一緒に行動するということなのだ。おもちゃ屋へ下見に行くことも叶わず、その同僚が一緒に買ってこようか、と言ってくれたけれども、それではサンタの名がすたる。
サンタやる気満々となっていた私は、何とか機会を伺っていた。
ある日突然それは訪れた。有休消化のお達しが出て、何とぽっかり半日勤務。保育園へ迎えに行く前に寄り道をする。
無事に諭吉さん三人を電子キーボードへと交換し、そして考えあぐねる。いったいこれをどうしたものか。
同僚は物置に鍵をつけて仕舞うと話していたが、あの頃まだアパート暮らしだった我が家に物置はなかった。とりあえず車のトランクに積み、万が一開けてもすぐに目に入らないように上からブルーのビニールシートで覆う。
そのままクリスマスまで積んだままとした。
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さあ当日。夜中に娘が寝静まったあと車へ取りに行く。真夜中に寒空の下、駐車場で車のトランクから何やらビニールシートにくるまれた物体を出す女。寒い、寒すぎる。そして怪しすぎる。幸いにも通報などされることもなく、キーボードを我が家へ運び入れる。と、玄関で思う。
もし、娘がトイレとかに起きていたら?鉢合わせの可能性がある。サンタは考えて、キーボードは玄関わきに一旦立てかけて、素知らぬ顔でひとまず玄関を開け娘の様子を伺う。
心配ご無用。爆睡だった。
ゆっくり娘の枕元へ。
これにてサンタ業務完了。
いや、楽しくて眠れないんですけど。
そんな夜だった。
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後日談。
翌朝、娘はたいそう喜んだ。次々つま弾く音色。この子天才かも、と単純に思って何度もビデオに撮った。そんな数日後、娘は言った。そういえばサンタさん、ピアノの足、忘れちゃったんだね。
足?
キーボードスタンドは別売だった。
とりあえずテーブルに乗せて弾ければいいんじゃない?と思っていたけれど、やっぱり必要かな。
はい。その後キーボードスタンドをサンタに代わって買いにいきました。いや私がサンタだけど。
そしてママサンタ、年末の忙しい時期に組み立ても、もちろんしましたとさ。
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ひとりの人も囲まれてる人も
同じ雪が積もりそうなイブ
世界は皆 祈りを唱え
ひとつの歌がきこえそうなイブ…
『ゆめみるモダンクリスマス』大江千里
誰のもとにも同じように時は降り積もります。
皆様 メリークリスマス✨