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卒園式シーズンに思う
基本、私は涙もろい。
感情のままにしておくと号泣するので人目があるときは歯を食いしばる。
初めての式ものは、長女の幼稚園の入園式だったが、制服姿でみんなと並んでいるだけでも感動して涙腺がゆるんでしまった。
卒園式は、
泣かせるためにあるのではないかと思うほどの演出が待っている。
子どもたちが「がんばった、うんどうかい」とかね、
「どきどきした、おとまりかい」とかね、
幼い声で一生懸命に言うたびに、うんうんと思い出しては感極まり、当然のように涙ぐむ。
そう、母は園の演出の思うがまま泣かされるわけで。
素直な心でただただ我が子の成長を思い、涙するわけで。
卒園式の涙腺決壊。もうこればかりは仕方がない。
入園時に吃音だった次女には、忘れられないエピソードがある。
途中入園して、数か月後の発表会でのこと。
年少組の子どもたちが一人ずつ順番にステージに出てきて、おじぎをして平均台を渡り「ぼくはネコ、にゃんにゃん」というふうに、自分の役の動物の名前を言い鳴き声を言うという設定。
ほぼみんなが後ろに揃ったころに娘が登場。
何事もなく、おじぎをして危なっかしく平均台を渡ったあと、客席へ向かってのセリフの段階で
「……」
無言。まったく言葉が出ず、ただ固まっている娘。
すかさず先生が隣に来て娘の肩を抱き、後ろへ「せーの」と小さくささやいた。(その「せーの」は残念ながら観客席にいる親にも当然聞こえてはいたが)
すると後ろのみんなが娘のセリフを声を揃えて言ってくれた。娘は何事もなかったかのように後ろへ下がる。人前での発表が苦手だったのもあるし、吃音で言葉が出てこないのもあっただろう。
どちらが原因か、合わさったものか。でも、当日に保護者がたくさんいる客席を見て緊張したのなら、あんな対応ではなかったはず。
普段の練習の時から、きっとセリフが言えなくて、後ろの子どもたちも娘のセリフを練習してくれていたのだと分かった。
あの時も涙が出るのをこらえていた。
悲しいとかではなく安堵の涙、感謝の涙だった。
娘があの場所で何を思っていたのか、感じていたのか、数年経って聞いたことがある。でも「覚えていない」と答えた。
本当に覚えていないのか、教えてくれないのかはわからない。
でも、取るに足らない出来事だと、だから覚えていないのだと思いたい。親はいつまでもこうして覚えているのだけれど。
年少の途中から入って、発表会から2年余りの卒園式。
初日のたどたどしい挨拶や、そんな発表会での出来事を式の途中思い出していた。
卒園式では、ひとりで言うセリフも見事にこなした。いや普通のことなのかもしれない。でも私にとっては、それだけで一大事。
親のそんな気持ちも知らず、本人は涼しい顔をして、人一倍大きな声で皆と一緒に歌っていた。前へ卒園証書を受け取りに行く姿も堂々としていて、動画を撮る私を見つけてニコッと笑ったりして。余裕綽々。
そんなときに思い出すのは、決まってあの初めての発表会のこと。
こんなふうに、普通のことがみんなと一緒に普通に出来るって幸せだな、としみじみ思えて、感極まる。そうしてすぐに涙腺が崩壊しそうになる。
小さな体いっぱいにパワーを発して、少し誇らしげに卒園証書を持って歩く娘は思いっきりの笑顔だったので、私は涙が溢れるのを、そっとビデオカメラで隠していた。娘の前で泣くのが照れくさくて。
この時期の園児を見ると、普通のこと些細なことでも感動をくれたことに感謝したあの卒園式を思い出す。
小さな悩みを抱えていても明るい未来が広がっていたあの頃。ふんわりと温かくて微笑ましい気持ちになる。あの気持ちをずっと持ち続けていたいと願う3月の朝。