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次女と絵本制作~卒業によせて~

講堂に集う卒業式は中止になった。

三月某日、娘は教室で卒業証書を受け取り、通っていたデザイン学校を無事に卒業したと連絡がきた。
その数週間ほど前、広い校舎を利用して、卒業制作展が数日間にわたり開催されていた。



青空なのに雪がちらちら舞う中、展示会場となる学校の最寄り駅で娘と待ち合わせる。
大学卒業後に社会人で入学したので、もう親の出る幕じゃないなと入学式には出席もしていないし、去年は外出していないので展示会などを含め学校へ来たことがなかった。日差しで溶けかけの、ぬかるんだ雪道。よろけつつ、娘の案内で、初めて学校までの道のりを歩く。
「けっこうあるね。」「そうなんだよね。」
「よく通ったね、仕事帰りにこんなところまで。」「ほんとだね。」
そんな会話を交わしながら。

娘の職場から、住む駅を通り越して逆の方向に、その学校はあった。働きながらもやりたいことを学ぼうとした娘の横顔を眩しく見つめる。
道すがら、偶然にも娘の恩師とすれ違い挨拶をする。「大変気のつく娘さんで」「頑張って賞をとったので是非みてあげてください」と嬉しい言葉をかけられ、じわっと目頭が熱くなった。
消毒、検温、氏名と連絡先、そして入場時間までを記入してからの会場入り。

次女は絵本制作のためにデザイン科に入ったという経緯がある。初めて絵本を創ったのは小学2年生の時で、それを大切に今も保管してある。
その後、絵から離れスポーツをしたり音楽をしたりと忙しい学生時代を送っていたけれど、本だけはいつも傍らにあった。出版広告業界に入ったものの仕事は激務、何か違うと感じ数年で転職。定時退勤できる場所で本とも関わりつつ、芸術デザイン学校夜間部の扉をたたいた。
娘いわく、絵本制作するには絵が弱いと感じた、から。

以前制作した作品で「物語は一番印象に残る内容だったが絵が稚拙」との批評があった。プロの絵本作家さんからの生の声。凹むのではなく文章は良かったと喜び、稚拙と書かれたことを真摯に受け止めていた。だからこそやる気を奮い立たせていたのだろう。

 入学後、周りはすでにプロ並みに上手く、学ぶ必要ないんじゃない、という人ばかりだったと。先生からも絵が「下手」とよく言われたらしい。下手だから勉強にきているのに、と何度も何度も悔しさを噛みしめて描いていたと。
学生時代に、すでに企業にデザインが採用されていたり、これからプロを輩出する場なのだから「上手い」が前提なのかもしれないけれど。それでも「下手」と直接的な言葉を言われつつも、くじけずによく頑張ったなと感心する。

卒業制作の絵本は好評価だったそうだ。絵、上手くなったね、と。下手だからこそ伸びしろってある。作品としてのクオリティが高いと評価され受賞した。
「クオリティを上げることは出版広告業界にいた知識が役立ったんだよね、無駄なことは本当にないんだね」と言う我が娘が、ひとまわり大きく見えた。

年末年始に帰省していたとき、長女が中学時代の文集を出してきた。そこに乗っていた次女の言葉が『好きなことは絵を描くこと』
それを見て、次女が自分のことなのに驚いたように「へえ、わたし絵描くの好きだったんだ」と漏らした。
母と長女は「好きだったよね」と声を揃える。スケッチブックに、いつも絵を描いていたじゃない。
次女は「最近、絵を描くのはもういいかなと思ってたから忘れてたよ」とつぶやく。その言葉を聞いて、辛い思いもたくさんしたんだな、と感じた。

そんなやりとりを思い出しながら、娘の作品の前に立つ。


 絵本と、その原画。そして受賞を示すプレートと紹介文を見つめる。傍らに感想を書くことができる鉛筆とノートが置かれていて、中を開いてみた。小さな子どもが書いたと思われる『たのしかった』『かわいい』の文字、そして上は60代の方からの達筆な文字での心のこもった感想。思わず涙腺が緩む。これは宝物だね。写真を撮っていると、そんなのまで撮ってるの?と娘に言われた。娘が褒められているのは嬉しいんだもの、とは照れ屋の母は言えずに、まあね、と返す。


芸術やデザインとは無縁の私。行く前は、娘の作品をちらりと見て、30分とか、まあ1時間はかからないだろうと思っていた。なのに興味深い作品ばかりで、校内を一周するのにその数倍の時間を要した。

環境デザイン、産業デザイン、メディアデザイン等々。ふと見渡すと、身の周りは全てがデザインされたものなのだと、そんな当たり前のことに気付く。本や文具、アクセサリーに雑貨、家具、家や店舗、学校も。街そのものも。壮大なデザインを前にして、宇宙に放り出されたような気持ちになるほど、デザインの広さ、深さに驚嘆した。

イラスト絵の勉強をしていた娘からも、鉛筆の削りかたから始まって、この2年間いろいろと目から鱗の話を聞いてきた。私は基本理系女子なので、長女の音楽にしても次女のデザインにしても学生時代無縁だったもの。
それぞれの趣味も仕事内容も違い過ぎて、普段の話が交わることは少ないけれど、家族だと情報は自然と入ってくるし、知ろうともする。

長女の音楽で私は交響楽団の生演奏を鑑賞するようになったし、次女のデザイン科でまた世界を広げた。このふたりの娘がいなかったら、私の世界は確実にもっと狭かった。

看護師の娘も看護師。または親も看護師。そういう人は私の周りにも一定数いる。親子で仕事の話もよくするようで、お仕事あるあるで盛り上がることもあり楽しそうでいいな、と感じながら同僚の話を聞いている。
私は親兄弟に医療従事者はいない。親には、誰に似たんだか、とこぼされる人間だ。ふたりの娘もまた別の道を歩く。仕事の話もかみ合うことは少ない。その代わりに、多くの知見を持つことができる幸せがある。
好きなこと、していることが、家族バラバラなのも悪くないよね。
夕暮れの帰り道、舞う雪を見上げながら、ぼんやりそんなことを考えた。


一緒にたくさんのことを学ばせてもらい、私の世界も広げてくれた娘。
卒業、そして受賞、おめでとう。
働きながら、よく頑張ったね。
見せてくれたその姿に、私も多くの刺激を受けた2年間。母からはいっぱいの感謝を贈ろう。


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