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文芸クラブ の記憶
昨日の投稿で何度書いても脱線するため割愛したものがある。
私は中学3年生の後期、文芸クラブに所属していた。
今は小中学校にクラブ活動はなくなってしまったけれど、私の頃は毎週1時間、水曜日だったか木曜日だったかの6時間目がクラブ活動の時間だった。
1年の前期後期、2年の前期後期、3年の前期、と続けてバスケットボールを選んだ私。(完全に下手の横好きである。ちなみに部活は違う)
3年生の後期も私はそのつもりだったけれども、仲良しだった違うクラスの部活仲間から誘われた。部活も終わってしまったし、多分高校も違う。最後に同じクラブに入らないかと。
その2人は運動系ではなく緩く話ができるようなクラブがいいと言った。そしてバラバラにならないように、第1希望が通る希望者の少ないところ(笑)
私の担任はその年に着任したおじいちゃん先生で国語の教師だった。
その先生が文芸クラブなるものをを作っていたけれど、前期はどんな内容かもどんな先生なのかも未知数だったためか在籍者は少なかった。まあ運動系の方が圧倒的に人気があったので。
文科系だしここなら3人一緒に入れるのでは。そんな不純な動機で希望したはずだ。
ちなみに着任して半年、その先生は穏やかで優しくて好かれていた。
文芸クラブ初体験の私。
何をするのか全く知識もなく入った。自分で詩を書いていたことと「文芸」なるものは私の中で繋がっていなかった。
全員同じ題材で作文を書く。
今、目の前にあるものを5分で作文にする。
三行詩を書く。
などという感じで、みんなでわいわい言いながら言葉遊びをしている感覚の45分間。あっという間の時間だった。
私にとっては担任でもあったその先生。
国語とホームルーム以外に先生と過ごした半年間は貴重だったな、選んでよかったな、と文芸クラブの最終日に感じて、ああ、終わってしまう、と私は少し寂しかった。
先生の言葉
「力を出し惜しみするな」
「七転八起、起き上がるのは君の情熱だ」
もはや情熱だけでは立ち上がれないほど体が衰えてきている私だけれど、今の私よりもまだ年上だったあの頃の先生は、穏やかな眼差しの中に確かに情熱があったなぁと思う。
大切な友達との時間、大好きだった先生との時間、そしてささやかながら文芸に携わった時間。
なのに文芸クラブだったことをしばらく忘れていた。
間違いなくあの時間は、私に書く楽しみを育んでくれた大切な時間だったはずなのに。
ここで色んなことを書いているうちにふわっと思い出すことが、こんな大切なことだってあるのだ、としみじみ思う。
記憶の湖底に沈んだ思い出を掬いだす。
それは私がnoteを書く、新たな理由のひとつになる。