書けなくなって、読めなくなった
2月13日19時過ぎに記事を書いてから今日まで4か月近く、何も書けなかった。
2月13日23時8分ごろ、福島県沖が震源地となる、震度6強の地震が起きた。地震が起きて、宮城にいる長男のことが心配になり、慌てて電話をした。長男は元気で、大丈夫だったのだが、その後頻繁に続く余震や東日本大震災から10年ということでテレビから流れてくる当時の映像に、すっかりまいってしまった。
テレビの映像を見て、当時は知らない町の名前や場所だったのが、今はどこかわかる。あそこがあんなにきれいなのは、あの一帯に津波が来たからだったんだ…とか、今あの津波が来たら、子どもたちは助かるだろうかなどいろいろと考えてしまう。当時の映像とわたしが見てきた町並みが重なってしまって、テレビが見られなくなり、3月11日以降ほとんどネットフリックスだけを見ていた。
2月13日以降、震度4や5の地震が頻繁に起きる中、うちでは次男も長男と同じ高校に行くことになり、入学を喜ぶ気持ちと、心配な気持ちが混ざりあった。次男が高校に入学し、その後大きな震災が起きて、2人になにかあったら、私はずっと宮城に行かせたことを後悔するだろう。でも、大震災がまた起きるかもしれないからと、2人の行きたい気持ちに反対して行かせなければ、それも後悔するだろう。
そんな風に悶々としていたら、何も書けなくなってしまった。そして、何も読めなくなってしまった。次男や末娘の卒入学で忙しかったこともあり、そうしてそのままにしていたら、あっという間に4か月近く経ってしまった。
この4か月間で読めた本は一冊だけ。「想像ラジオ」
たまたま震災関連の本を棚に…と思って前に仕入れた本だったのだけれど、なんとなくこの本なら読める気がして、少しずつ読んだ。家や車が濁流にのみ込まれる映像からも、ルポやドキュメンタリー本の生々しさからも少し離れ、死をそばに感じながら読んだ本。どうしてこの本だけ読めたのか、今もよくわからない。
そして、数日前またもう1冊本を読んだ。この本を読んで、なんとなく、どうして「想像ラジオ」だけ読めたのか、わかったような気がした。
その本が「本を読めなくなった人のための読書論」なんとなくお店に入れていた本で、未読のものだった。
不安な気持ちをかき消すようにネットフリックスを見ていた当時、私は自分の心の中と対話できなかったのだと思う。地震、津波、原発。自分だけでは解決できない、この国が引きずっているいろんな問題。長男と次男がいる間だけ、その土地に地震、津波、原発で被害が起きなければ…というものでもない。コロナ感染拡大も相まって、気持ちの落としどころが見つからない毎日。
でも、日々は進み、長男も次男も私から離れたその場所で今も暮らしている。2人はやりたかったサッカーでたくさん結果を出して、コロナ禍でいろいろなことがままならない中でも、監督やコーチ、部の仲間たちと元気に過ごしている。私も入学式に行き、寮生活で必要なものを整え、2人の出ている試合を見に行き、笑顔で帰る。
けれどふいにテレビに映る震災の映像が、突然来る地震速報が、怖かった。今も怖い。それでも好きなドラマを見て、好きな歌を聴いて、家族や友だちと笑ったりしながらおいしいものをたくさん食べて過ごした。
そうした毎日を過ごして、書くことと読むことだけができなかった。読みたい本はたくさんあったし、書きたいこともたくさんあったはずなのに。
そんな状態の私に周波数を合わせるかのように入ってきてくれたのが「想像ラジオ」で、そして、そのまた数ヶ月後に目が合ったのがこの、「本を読めなくなった人のための読書論」だったのだ。
本を読むってどういうことなのかをもう一度言葉にして教えてくれた。あぁ、そうだった。私の中にあるものと対話させてくれるのが本だった。思い出した。
それで今、これを書いている。
読み始めたら、書き始めたら、お店も開けようという気持ちになって、そうしたら、寄ってくれる人がいて、本を介してのやりとりもうまれて、少しずつ何かを取り戻してきたような気がしている。
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