家族のためのユマニチュード

今年初めの父の訪問看護が終わった。月2回、お医者さんと看護師さんが来てくれる。前回の血液検査の結果を教えてもらった。数値で要注意だけでなく、そこから推測して心配な部分も話してくれる。そして、緊急時にいつでも電話できる電話番号と電話で指示を受けながら使えるお薬キットも。

お医者さんはやわらかな関西弁で、看護師さんはやりとりをしながらタイミングよくあははと笑っていて、和やかな空気が流れる。

お医者さんの様子を見ていると、父と話す時はちょっと見上げるようにして、診察などで体を触るため断りを入れる時も耳が聞こえないからといきなり大きな声を出すこともなく、普通の会話をしながら、父が聞き返すとその時初めて少し大きな声で話す。

前回初めての訪問で、いつも警戒しがちな父がどんどん和やかになっていく姿を見て、不思議に思っていたのだけど、初対面の目上の人としてきちんと接してくれたからなんだなと2回目にしてわかる。

たぶんそれがユマニチュードだ。尊重していますよということを態度で示すこと。介護する際にそれが伝わるようにする具体的な技術。それが書いてある。

しかし、最初にこの本を手に取った時は、そう感じられなかった。表紙見ただけでも、あぁわたしは両親にもっと優しくしなきゃならないんだというメッセージを受け取った。

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相手の状況や心情を客観的に受け止めて、それに対処していく。その対処法が書かれているのだけれど、両親の認知症が進み、「え⁈」「なんで⁈」の連続だった時にはこちらがそれを客観的に受け止められず、「とにかくやめて!」みたいな心情になっていたので、この本の言わんとするメッセージをなかなかそのまま受け止められなかった。

今少し客観的に見られるようになってこの本を読むと、ちゃんと実用的なことが書いてある。ただ、体の弱っている人に対してどう接するかは、なんとなく経験として皆持っているところもあるように思う。

それが機能しなくなるのはどうしてか。どうしたら機能するようになるのか。

完全な私見だけれど、私の場合はやはりケアワーカーさんや訪問看護の先生に話を聞いてもらい、対応してもらい、その人たちが両親に接する姿を見て学んだ部分が大きかった。以前のケアワーカーさん、以前の訪問看護の先生と何が違うのか。これは感覚でしかないけど、やっぱり人として尊重してくれているかどうか、なんだと思う。

1番はじめに相談に行った地域包括センターの人も、ひとまず私の話を全部聞いたのちに、今のケアワーカーさんを手配してくれた。私にひとつひとつ説明し、判断を仰ぎながら。

診察の際も同席してくれたケアワーカーさんに、ケアワーカーさんを交代してもらえて、いい先生を紹介してもらえて本当によかったです☺️と話すと、その行動を起こしてくれたのは〇〇さん(私の名前)ですから。と言ってくれた。「娘さん」ではなく私の名前を呼んで。

こうしたことは介護家族に接するユマニチュードとしてマニュアル化されているのかもしれない。けれど、マニュアルを忠実に守っているのか、その人の姿勢なのかはなんとなくわかる。わかってしまうもののような気がする。

だから、もし私が最初にこの本を読んだ時に、自分の気持ちを押し込めて、この通りにやったとしても、私と両親の関係はよくならなかったように思う。

今は少し両親を介護の必要な人として客観視できるようになり、それに対処する方法としてこの本を読めるようになった。身近にいいお手本もあるのでそれを参考にして。

…とここまで全然本の中身に触れてないのだが、中には認知症の進み具合など、具体的なことも書かれていて参考になる。

今父は1分おきくらいに今日はどこへいくんだ?何しにいくんだ?と聞くのだけど、それは短期記憶で、認知症が進むとまず短期記憶が失われていくらしい。そして最終的に残るのは感情記憶だと。そのような記憶の機能や、他にも認知症の人の特徴、どう接したらいいかの技法、体験談などと言った具体的なことが書かれている。ピンクの表紙とイラスト、やさしい文章にやさしくあれのメッセージばかり受け取ってしまい、そんなやさしくできないよとそのメッセージを拒んでいたのだけど、介護の実用書として読むと有用な本だと思う。

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