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「古くてあたらしい仕事」島田潤一郎著 新潮社

明日からお店を再開する。そのタイミングで、数日前に読んだこの本について書いておこうと思う。

しみじみと胸にしみた文を書き留めておく。

「結局、自分がこれまでやってきた仕事の延長線上にしか、新しいしごとはないのだ、と思う。
その土台を無視して、全く新しいことを始めたり、あたらしい展開を試みたところで、それはやっぱり、ただの付け焼刃に過ぎない。
次の仕事は、いつだってこれまでやってきた仕事が規定する。それがよいものであれ。悪いものであれ。」

「現在流通している本よりすごい本が古本屋さんにはある」

「復刊した『昔日の客』のあとがきで、息子の直人さんが紹介した、関口良雄さんの言葉がいつまでも忘れられない。

 古本屋というのは、確かに古本というものの売買を生業としているんですが、私は常々こう思っているんです。古本屋という職業は、一冊の本に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから私が敬愛する作家の本達は、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでも置いておきたいと思うんですよ。

ぼくは、この言葉に強く影響を受けた。自分の仕事の方針を決定づけられた、といってもいい。」

「ここに書いてある「市民の要求に合わせながら、主体的な判断によって本を選び、その選択がまた市民の要求に影響を与えてゆく」というサイクルは、本屋さんにとっても同じことがいえるし、出版社にとっても同じことがいえる。」

「たいせつなのは待つことだ。自分がつくったものを、読者を信じて、できるだけ長いあいだ待つこと。自分がつくった商品の価値を信頼すること。自分の仕事をいたずらに短期決戦の場に持ち込まず、5年、10年と長いスパンで自分の仕事を見ること。」

「ひとりであれば、待つことができる。誰にも迷惑をかけず、店でひとり店番するように、お客さんを待つことができる。」

今回お店を閉めている間にお店にある本を少しずつネットショップに移していった。1冊1冊、本の基本情報と、出版社の内容紹介と、私が読んだ時の本の感想を載せた。そうしたら、棚のかたまりの中にあった本がひとつひとつ、また私の前にやってきた感じがした。

それぞれの本と対面するのは、新刊を仕入れて入荷してきたとき、買取をしたとき、棚に入れる時。あとは時々SNSで本の紹介をあげる時だけだった。今回、いろいろな出版社のHPから、本の紹介、本の厚さや大きさなどの基本情報を調べていくうちにいろいろなことがわかった。

うちにある本は童心社、偕成社、河出書房新社の本が多かった。あとは韓国文学もすこしまとまってあるので、亜紀書房。そんな風に出版社別に見たことがなかったから、ちょっと新鮮だったし、出版社によって、本の紹介もさまざまだった。編集者さんからの一言がたくさん書かれていたり、特設ページがあったり、そういうものをきちんと読み込まずに本を置いていたことが恥ずかしくなった。

やっと半分くらい登録し終わったけれど、まだカテゴリー分けがきちんとできていなかったり、古本の状態がきちんと説明できていなかったりする部分がある。お店からの一言もまだついていない本が多い。そんなことをやりながら読んだ本だったということもあって、いろいろと身に沁みてしまった。できていないことが多すぎて。そこまでしっかり考えて本を手渡してこなかったと。

でも不思議なことにこの本は、そんなふうにわが身を恥ずかしく振り返ることはあっても、本を読んでいて責められるような気持ちには一つもならなかった。この人はすごい、私はダメだという気持ちにはならなくて、逆に応援されているような気持ちになった。できていないところをひとつひとつ丁寧にやっていこう。そういう気持ちになれた。それは島田さんがそういう人だからなのだろう。私よりずっと年下の人に応援されている。BTSのJ-HOPEくんにしてもそうなのだが、最近の私は年下の人に応援されながら生きているような気がする。


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