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死別を経験したら仕事ができなくなったお話

前回のお話の続きです。

心と体がついてこない日々

27歳の時、2010年8月末に同棲中の彼氏が急死して3週間会社を休み、その後一人暮らしをしながらの仕事復帰。
埼玉から都内までの通勤で、湘南新宿ラインに乗って片道1時間ほどかかります。

いつまでもクヨクヨしていちゃだめだ、がんばろう!と思うのですが、絶えず気持ちが不安定で、家にいればずっと泣いていて、泣きすぎて過呼吸になって、電車の中でも仕事中でも涙が溢れて止まらなくなります。
もともと仕事をこなすのは早いほうなのですが、集中力が続かず頭も働きません。
今までじゃありえないようなミスも多くなりました。
ろくに食事も取れなくなりお昼に少し食べるくらいで、1ヶ月で5kg減りました。
当然体力も落ちて熱が出やすくなったりして、会社に行けない日も。
そしてバファリンを飲んでも効かない微熱とだるさがずっと続いていて、彼氏が亡くなった時のことがフラッシュバックして、動悸がして苦しくなったりもしていました。
泣きながら寝落ちする毎日で、よく眠れない日も続いていました。

そんな私に上司がこう言いました。
「旦那さんや奥さんと死別した人は1週間くらい忌引きで休んで、その後は悲しさを乗り越えて普通に仕事している人が世の中にはいっぱいいるんだよ。りえちゃんもがんばりなよ。」

確かにその通りです。全くもってその通りなんです。
なのに、なんで私はがんばれないんでしょう?
気合が足りない。甘えてる。
がんばりたいけど、できない。
死別した人は普通はそれを乗り越えて、まわりに迷惑かけないでがんばってる。
でも私はなぜだかできない。
ダメな人間だからだ、がんばりがまだまだ足りないんだ。

心療内科への通院

2010年10月に四十九日法要と納骨、2回目の月命日。
そのあたりで私の様子を心配した友達に勧められて、近所の心療内科に行きました。
所謂「抑うつ状態」とのことで、抗うつ薬と睡眠薬が処方されました。
薬を飲んだから、はいもう元気!というわけにはいかないのですが、気持ちの不安定さは減りました(薬で頭がボーッとしているだけのような気もしていましたが)。

薬を飲んでいるんだから、もっとちゃんと仕事できるようにならなくちゃ。
泣いてばっかりいたらダメなんだ。薬飲んでるんだから治るはず。
そんな考えで毎日を過ごしていました。
が、一向に良くなる気配がありません。
2010年11月末、とうとうお医者さんに休職を勧められ、3ヶ月ほど会社をお休みすることになりました。

人生で初めての長いお休み

彼氏が亡くなる前は半年ほど仕事が忙しくて毎日終電帰宅、さらに同棲を始めて家事をほぼ全部やっていたところに彼氏の急死と、何がなんだかな毎日でした。
休職して、思うがままに好きなことをして何もしないで過ごして、ひとまず「寝る」「食べる」がきちんとできてきました。
休職する前は泣かない日はなかったのですが、泣く頻度は少し減りました。
動けなくて何もしない日も多かったですが、友達が会いに来てくれたり会いに行ったり、祖父母に会いに行ったり。
彼氏の実家にもよく泊まりに行って、彼氏のお母さんのおいしいごはんを食べてお父さんとお酒を飲んで、たくさんのことをお喋りしました。
クラブイベント友達主催のイベントにもよく行って、みんなとの会話と音楽と、お酒に酔うことでさみしさを紛らわせていました。

結構人前では笑顔でいるタイプなので、元気そうに見えていたかもしれません。
でも何度も、もう生きているのつらいな。あっちに行きたい。と考えていました。
そんな感じで2011年3月から仕事に復帰しましたが、すぐに東日本大震災があり心の平穏が全く保たれず。
そしてやっぱりがんばらないとという気持ちが強くなってしまい、心と体がついてこない自分に焦り、電車に乗ると動悸がしてパニックのような症状も出るようになり、処方される薬が増えていき、2011年7月から2度目の休職となってしまいました。

途中で病院を変えましたが、なかなか薬の量が減ることはありませんでした。
2011年の11月に仕事に復帰しましたが、動悸などが起きて苦しくなることが多く、相変わらずずっと不安定で自暴自棄な生活。
睡眠薬で眠すぎたり眠れなすぎたりもしょっちゅうで、ずっと頭がぼーっとしていました。
そして彼氏が亡くなってから、気付くと体重はダイエットも何もしていないのに10kg減っていました。
結局会社には辞めてもらうように言われ、2012年8月、29歳の時に退職となりました。

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