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星の王子さまを育てる学校
「ねえ、ひつじの絵をかいて」
王子さまはぼくにいいます。
およそ人が住んでいるところから千マイルもはなれている砂漠のど真ん中。
ぼくは王子さまにゾウをこなしているうわばみの絵をかきます。
「ちがう、ちがう!ぼく、ウワバミにのまれてるゾウなんかいやだよ」
サンテグジュペリ 「星の王子さま」一部抜粋
だれにも理解されなかったぼく
「星の王子さま」の主人公、「ぼく」がウワバミにのまれてるゾウの絵をかくたびに大人はいいます。「そいつはぼうしだ」と。
ちがう、うわばみにのまれてるゾウだという僕に、そんなくだらない絵はやめにして、勉強に精を出しなさいと。
大人になった「ぼく」の前にあらわれた王子さまだけがそれがウワバミにのまれているゾウだと理解します。
「ぼく」は子どものころに出逢えなかった、ありのままの自分を理解し受け止めてくれる友だちに、大人になってからやっと出会えたのです。
だれにも理解されなかった私
子どものころの私もだれにも理解されませんでした。
私は常に「自分だけの世界」を生きていました。
私には常に「自分だけの時間」が流れていました。
それは他の子の時間とくらべてゆっくりでした。
家では両親からこう言われました。
「さっさとご飯を食べなさい」
「さっさとお風呂にはいりなさい」
「さっさと歯を磨きなさい」
「さっさと寝なさい」
私は時間を忘れてゆっくり空想することが好きでした。本を読みながら、絵を書きながら、音楽を聴きながら、常に頭は「今ここ」ではないどこかに飛んでいました。それは至福の時間でした。
両親の「さっさと」という言葉によって、私の至福の時間は終わりを告げ、現実の時間に引き戻されるのでした。
学校は決まりを守るところ
学校ではドッジボールが嫌いでした。ボールを人に当てて倒すなんて野蛮な遊びが授業で行われていることに疑問を持ちました。
食べる時間や休憩する時間のすべてが決められていて遅れてはいけないことに毎日息切れがしました。
先生は「さっさと」とは言いませんでしたが、代わりにこう言いました。
「はやく〇〇しなさい」と。
私のようになにをやっても時間のかかる子は先生のお気に入りではありません。
先生のお気に入りは先生の望むことを先回りしてやる子。
子どもたちの間でもなにごともそつなくこなせる子がスター。まさに大きなヒエラルキーです。
心の奥にいる光のドラゴン
友だちがあまりいなかった私はいつしか学校で言葉を発することをやめていました。
学校で言葉を失った私はそれを取り戻すように、家に帰ると夢中で本を読みました。
物語の中から美しい言葉を、音楽の中から美しい旋律を、映画から美しい情景を集めました。
集めて心の奥に詰め込みました。心に詰め込まれたそれらは光となりました。
光はどんどん大きくなり、やがてドラゴンの姿になりました。
わたしは心の中にあるドラゴンを育て続けました。
心の奥底に閉じ込められたドラゴン
もしだれかに心の中のドラゴンをとりだして見せることができたら、一緒に美しさを堪能できたらどんなに素晴らしかったでしょう。
しかし小学生だった私にはそれをだれかに伝えるすべなど持ち合わせていませんでした。
私は心の奥にある宝物についてだれにも語ったことはありません。
だれかが理解してくれるとはとうてい思えなかったから。
「星の王子さま」のぼくが「うわばみにのまれているゾウ」の絵をだれにも理解してもらえなかったように。
やがて私は心の中にいるドラゴンを心の奥底に押し込めるようになりました。
王子さまとの出逢い
ある日私は母の本棚にある本を見つけます。それは「星の王子さま」。
超現実的な母がなぜこれほど哲学的で寓話的な物語を本棚に大事にしまっていたのかはいまだにナゾです。
わたしはこの本に夢中になり暗記するほど読みました。
物語は美しい情景や、言葉や、愛や光をあらわすエピソードで満ち溢れていました。
人や動物や物事を区別せず愛し、ありのままを受けとめる王子さまが大好きになりました。
「星の王子さま」を読んでいると、心の奥底に閉じ込めたドラゴンはまた大きくなり、姿をあらわすようになりました。
怒り、失望、そしてあきらめ
私は王子さまのような友だちを渇望しました。しかし現実の世界には現れません。
やがてその気持ちは作者に対する怒りとなりました。どうして私の前には王子さまを出現させてくれないのだろう。おまけに献辞を「大人に」ささげてしまうなんて!
時間が経つにつれ私の怒りは失望に変わり、やがてあきらめとなります。
私は王子さまに出会うことを諦めます。
同時に大きくなっていたドラゴンを再び心の奥深くに押し込め、光がもれないようにしました。
嘘つきな大人に
気が付いたら私はすっかり嘘つきな大人になっていました。
誰かの時間に自分を合わせ、だれかの考えに自分を合わせ、誰かのゆめに自分を合わせ、知らないだれかと話を合わせることがうまくなりました。
状況に合ったうまい言葉を話せるようになりました。
だけど、ふとした瞬間に、たとえばとても美しい何かを見たとき、聞いたとき、感じたとき、私の内側に押し込めているドラゴンは表に出ようと必死にもがくのです。
こんな学校あったらいいな
もしもわたしの通っていた学校の先生が星の王子さまだったら…私はどんな子ども時代を過ごせたでしょうか。
そもそも先生は大人でなければならないとだれが決めたのでしょう。
星の王子さまのように、先入観なくありのままを受けとめる人が先生なら「良い」「悪い」で物事を判断することもないでしょう。
みんなよりゆっくりな時間に生きている子も受け止めてくれる。
みんなと同じことをしなくても受け止めてくれる。
みんなと違う育ち方をしていても受け止めてくれる。
ありのままの姿を認められて育ったら…
そんな学校なら星の王子さまのような子供がたくさん育っていることでしょう。
教える教科は道徳ではなく愛。
愛を学んだ子供たちは素晴らしい世界を築くことができる、戦争なんておこらない、差別も偏見もない世界を。
愛するのは人間だけではない、違う種類の生き物への愛情があればなお成績は上がる。きつねと花、花と人間、人間とドラゴン。だって地球の主役は人間ではないのだから。
自分と違う種類の生物への愛情があればあるほど、世界は繁栄していく。
命がないものへの愛情があればあるほど、世界は調和していく。
そんなことを教えてくれる学校があったなら。
こんな想像していたら、私の中のドラゴンはまた大きくなり、美しく輝きだしてきました。
そろそろドラゴンを押し込めるのはやめにします。
美しい光であるドラゴンを心の中で育て、愛し、共に生きていきます。
この文章をすべての子どもとすべての大人、そして地球に住むすべての生き物、生きていない物、たちに捧げます。