9年通った保育園が最高だった話
2015年の4月1日。長女をはじめて保育園に預け、不安と寂しさと申し訳なさで涙を流しながら駅に向かったことを昨日のように覚えている。そして先日、次女が保育園を卒園し、私も母親として9年間娘たちを通わせた保育園を卒園した。
長女を預けた頃、私たちが住んでいる地域は保育園の激戦区で、保育利用調整基準の基本点数が満点でも入れない状況だった。私は長女を授かったことで、その時に通っていた大学専攻科を中退した。出産した年に再受験をし、あらたに助産師になるための大学専攻科に入学が決まっていた。学業は就業と比較して点数が低く、認可保育園に預けることは絶望的だった。家族に無理を言って学校に行くのにどうしよう。そんな時に、同学年の子どものいるママ友に教えてもらった、認可外の保育園。事前にブログを見ると、園長先生による長文記事から、「普通じゃない感じ」と、子どもや先生達、保育への熱い思いを感じたことを覚えている。(正直ちょっとめんどくさい感じかも?とも思った。)
街中のビルの一階にある小さな保育園に見学に行った。部屋はひとつしかなく、年長クラスまでが同じフロアで過ごしていた。清潔で、日あたりと風通しも良さそうだし、それなりに動き回れるスペースはありそうでよかった。園長先生は若くて茶髪、背筋がピンとして座り姿勢が美しい。細かなことは覚えていないが、ふにゃふにゃふわふわの長女を抱きながら、園長先生から保育の指針や自園調理と食材へのこだわりの話などをお聞きして、この人なら娘を預けても悪いようにはしないだろうと思った(認可保育園のよくない話を聞いたところだったので、私は全身全霊で観察していた)。
私が学生で逆立ちしても認可保育園に入れなさそうなことを伝えると、「認可は申し込まず、専願で申し込んでくださったら、先着順で入っていただけます」とのこと。「学生である自分に他の選択肢はなさそう」と言うのが正直な気持ちだった。それでも私は助産師になりたい。今ならなければ、私は色んなことを娘のせいにしてしまいそうだと感じていた。娘に何一つ、私の人生の責任を(たとえ幻想だとしても)負わせたくなかった。私はこの保育園に娘を預けることに決めた。
そうしてはじまった保育園生活。ブログで感じた通り、普通じゃない、、、変わった保育園だった。娘が入園した日のブログには「この世の終わり泣き」と名付けられた入園直後の1歳児の泣きについてド正直に「泣いて泣いて泣きまくりました」と書かれていた。「ママは腹をくくって」「そうやって決めたお仕事をしている間のお子さんのことはお任せください。」と。こういったメッセージのひとつひとつに安心し勇気づけられた。
ブログには子どもの保育エピソードも掲載される。我が子の写真やエピソードが投稿されるのをわくわく待つ私。時には園長先生から直接LINEで写真が届くこともあった。誕生日には、その子のことについて書かれた特別な記事が投稿される。子どもひとりひとりが親もまるっと含めて大切にされていることを感じた。
どの園も、担任の先生とのやり取りがされる連絡ノートがあると思うが、娘たちの通った保育園には、連絡ノートの他に、園長先生とやり取りをするためのノートがあった。このノートを書くことは強制ではないが、書けば必ず園長先生から返事があるというものだ。このノートは在園児が60人を超える今も続けられている。私も二人目育休中は特に、このノートの存在に助けられた。最近は書くことがほとんどなくなったが、いつでも必要になれば書ける。ドアが開いていることが、安心感になっていた。声にならない声のためにもドアを開けておく。この姿勢は自分の仕事の在り方でも多いに影響をうけた。
行事も個性的だった。一番の名物は本気で怖いリアル鬼が出てくる節分。保育園の外からなめるように園を見る演出からはじまり、ドアが締まっているから去っていったと見せかけて、鍵のかかっていない通用口から入ってくる演出。子ども達は思いっきり怖がって、もちろん豆をまいて、最後は出ていくハッピーエンド。
ファッションも楽しんだ。お誕生日当日や誕生日会、そしてひな祭りにはとびっきりのおしゃれが許されて、娘たちはこれでもかというフリフリドレスにアクセサリーをじゃらじゃらつけて登園した。誕生日会では、今日のファッションポイントをそれぞれが発表。ひな祭りはファッションショーのごとく先生方の黄色い声が飛び交うランウェイを歩く。そう、子どもたちだけじゃない、園長先生の趣味(昭和)のにおいがプンプン、そして先生方も全力で楽しんでいた。
年に一度の音楽祭。高学年の「ライオンキング」(劇団四季風の本格的なやつ)を見た時は、衝撃だった(これを保育園児にさせるとか無謀すぎるやろ!というので。でも皆めっちゃ楽しそうだった)。次女氏最後の音楽祭では未来の桃太郎という独特な世界観。配役発表ひとつでも、ロッカーに入ったヒントの紙を見て、園内に隠された配役を書かれた紙を探すというエンタメっぷり。セリフも皆んなで考える。
次女出産後の育休中は、「育休は育児をする休業です」と、15時お迎えがルールで、思ってたよりたくさん育児をすることになった。はじめは抵抗を感じたけど、あの時子どもと向き合って本当によかったと今では思う。15時に保育園を追い出される、、、もとい、、、お迎えに行く母親仲間と毎日公園で過ごしたのは良い思い出だ。夫に夜の自由時間をもらい、とにかくぶっとんだことをしようと思って、園長先生を飲みに誘ったこともある(あの夜は刺激的だった)。
その昔、マンションの下で幼稚園バスを見送った母親達が話し込んでるのをみて、「何をそんなに話すことがあるのか」と思っていた。でも、育休中の公園生活を通して気づいた。育児中、大人とたわいない話をする時間がどれだけ大切かということを。子どもはかわいく、子どもとの時間は幸せだけど、孤独だ。この気づきは、その後の子育て支援拠点開設につながっている。
小さな認可外保育園は、次女の代には、0〜2歳児までの企業主導型保育園と認可保育園、そして3歳児以降の認可外保育園に広がっていた。普通、規模が大きくなると当初の志が薄まっていくものだが、大切な部分では、さらに自由度が増していった印象がある。次女氏は工作が好きなので、日々、材料を家で収集しては、保育園に持ち込んでいた。卵のパックひとつでも、普通なら「他の子がうらやましがるから」「なくすといけないから」のような理由で、NGになりそうだけど(いや、昔はNGだった気が、、、)ここでは違う。次女氏は自分で紙で作ったランドセルを背負って登園したり、自分で作った犬と同伴登園していたが、そのたびに先生方が「え!今日は何持ってきたん!?すごいやん!!」と驚き喜んでくれて、私もうれしかった。
ポケモンやピクミンなどのキャラクターを使った遊びや、岡本太郎にインスパイアされただいぶ癖の強い世界観も満喫した。「芸術は、爆発だ!」「真剣に、命がけで遊べ」「自分の歌を歌えばいい」「でたらめをやってごらん」という世界観を素直に受け取る子どもたち。これからどう育っていくんだろう。
独創的なことばかりを書いたけど、人間としてとても大事な基本の部分もしっかり教えていただいた。「座って話を聞く」とか、「両手で受け取る」とか「きちんとありがとうを言う」とか。
お迎えの自転車で「今日はどうだった?」と聞くと「楽しかった」と返ってくる。毎日笑って泣いて、やりたいことがやれる、それが出来たのは、先生方が色んな意味で守ってくれていたからだ。そのことに親の私の心も守られていた。
最後の音楽祭、棒立ちしているだけで何もできなかった長女のはじめての舞台を思い出した。少しずつできることが増えて、そして個性を発揮し、めいいっぱいに舞台を楽しむようになる、そのキラキラした時代に親として触れることが、今生ではおそらく最後になると感じて、涙した。
保育園の最後の日も、朝から涙が止まらなかった。これから次女氏は小学校に行く。小学校では、これまで守られていたことが、守られなくなることもあるだろう。私の目も、手も、届かないところでそれは起きるかもしれない。先に小学生になった長女氏も色んな経験をしてきたが、家の中に保育園に通う次女氏がいたことで、長女氏が受け取っていたものも大きいと思う。我が家が保育園を卒園する時が、ついにやってきた。寂しい!これからどうしたら良いんだ!
その答えはたぶんわかっている。それは、私たちが体験して、味わってきたことを信じること。
そう、時間は巻き戻せない。次の冒険のドアが開いている。ああ、楽しかったね。私たちならきっと大丈夫。
このキラキラした時代に、心を尽くして寄り添ってくださった保育園に、感謝しかありません。ありがとうございました。
9年前の私は夢と理想を追いながら、今よりもっと頭でっかちで、効率よく、子どもをコントロールしながら育児をしようとしていました。保育園の先生方には子どもの世界に入り込む楽しさと味わい深さを教えていただきました。育児はタスクじゃない、ひとつひとつが、かけがえのない体験なのだと。ヨチヨチな母を育てていただき、本当にありがとうございました。
保育士は素晴らしい専門職です。保育をする人が、自分のやりたいことを表現できる、保育園がそんな場所でありますように。
そしてもし、保育園選びのアドバイスを求められたら、私はこう答えます。「先生と、園児の目を見てください」「先生や園児が目をキラキラさせて、楽しそうにしている保育園に出会ったら、そこを選ぶのがおすすめです」と。(そこが大前提で、もし客観的なデータが欲しいなら、保育士さんの離職率について、調べてみると良いかもしれません。)
年度末には間に合わなかったけど、年度のはじめにこの記事を書けてよかった。さてさて、書きながらも散々泣いて、この別れを味わったし、心置きなく次のステージに進もう。