noteを書く時は、内面世界に籠る時間であって欲しい。noteで人と繋がる。不安障がいな私でも、こうして生きられる。
人と、人は分かり合えないもの。
例えそれが身近な存在である家族や友人であっても。
仕事を通じての価値観が大きく違う可能性がある職場の人同士ならば尚更。
でも「分かり合えなくてもいい。」
そう思えるようになってきたのは、年の功と色々な出来事、経験によるけど。
分かり合えないならば、分かり合えないなりの付き合い方がある。
全部全部が仲良しでなくてもいい。
でも最低限の歩み寄りは、時と場合によっては必要になってくる。
この最低限が、時には辛い。
自分が疲れている時は特に
「最低限でも頑張る」がとにかく辛かったりもする。
noteを書く時は、内面世界に籠る時間であって欲しい。
自分を癒し、労わる時間だけでなく、
そして、誰かとつながる空間であって欲しい。
近年「対話」という言葉を世の中で耳にしない日はないのは、私だけかもしれないが・・・
「誰とも話したくない」と思える時もあるかもしれないが・・・・
「誰かと話すこと」は時に生きる生命力になるんじゃないかというくらい大切に感じる。
「人は人に傷つき、でも人に癒される」
人に傷ついて、もう嫌、
と思っても、
この先出会う人に同じように傷つけれられるのかは、
まだ分からない未来のこと。
前を向く必要もないし、
後ろを向く必要もないけど、
時には地面と空を見てみよう。
「なんだ、こんなことに悩んでいたのか」と笑える日がくるはずなのでは
と思う今日この頃。
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