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15年を経て私に戻ってきたもの(後編)
自分の中で罪悪感に対する一連のプロセスが終わった頃、edge!!に出展する人たちが集まる強化合宿(2泊3日)に参加した。
(前編をまだの方はこちらから)
テーマは決めずに身体にまかせる
8月初旬、山梨県と長野県の境にある北杜市に私は来ていた。
到着して早々、1枚目から自分でも驚くほど無心で絵が描けた。
実は初めてのdeep合宿では、他者比較や自我の声がひどくて筆がなかなか進まなかった。
無理やり描き進めても全くダメで、絵なんてやっぱり描けない!と何度も思った。笑
なぜなら、アートはこれまで武器にしてきた私の要領の良さが、全く通用しなかったから。
絵が上手いとか、綺麗とか、そんな価値の尺度も存在しなかった。
あえて言うなら、どれだけ自分自身と向き合って、それをえぐり出して昇華させるかがdeepでのテーマだった。(それが、私にはピッタリだったんだけども!笑)
私は、筆や手に任せて描くことがこんなに気持ちがいいんだ!と、はじめて知ることができた。
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だから、キャプションは後付けだ。
出来上がった絵を見て、「私は何を描いたのだろう?」と後からじっくり対峙する。
なんの意図もテーマもなく描いたはずだけど、私の「今」が現れてくる。
それを言葉にする時間も、描くことと同じくらい私にとって大切なことだった。
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私が私に絶対に気づかせなかったもの
これまで警報を鳴らすように私を急かしていた頭の声が静かになって、私はとても穏やかになっていた。
罪悪感から私自身を掬いあげて、そこに愛があったことに気づき、もうすべて解決したような気になっていた。
でも、edge!!展がはじまる直前でそうではなかったことを思い知る出来事が起こったのだ。
それは、私が私に絶対に気づかせないようにしていたものだっただろう。
罪悪感が本当に隠していたものは、私の愛の「喪失」だった。
「絶望」と言ってもいいかもしれない。
なぜなら、私に愛があったことを認めたら、それを失ったことを同時に認めることになる。
それなら、最初からなかったことにした方がラクだった。
私には愛がなかった
私には愛なんてわからない
どこにも愛なんて最初からなかった
そう思って生きてきたのだ。
なのに、うっかり罪悪感の扉を開けてしまった。
それはあっという間に私の身体を埋め尽くし、私を溺れさせた。
息ができない、苦しい。
ヒドイよ、なんで、、なんで、
それが、私の本当の「未完了の感情」だった。
1番、認めたくなかったものだった。
毎日泣いていたけど、もう目の前にedge!!展の日が迫っていた。
edge!!ってなんだ?
私には元夫に伝えてなかったことがありすぎた。
突然すぎて、言えないまましまい込んだ言葉が行き場をなくしていた。
そんなことを思い出す前の、8月に描いた絵がこれだった。
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このキャンプションは、実は元夫のことではなく書いたものだったけれど、どうしてこうも繋がるのか。
まるで、これまでの伏線を回収したような展示となった。
そして、展示を観た方々からたくさんのメッセージを私はもらった。
・絵に惹かれて立ち止まり、そこに込める思い(文章)に共感。
・心が静まり呼吸が深まる、そんな感じがステキでした。
・深く潜ったところから浮上してますね^^
・絶望の中でも希望を見出せる、そんなメッセージを受け取りました。
・静かだけど、この静けさの中に歓びと未来と希望が詰まっている。
・この景色の見える場所に行ってみたい、とても優しい風景ですね。
・浄化されたように感じます。ただ、まだ暗闇にいる感じですが、あれこれ悩む必要はないです、大丈夫。
・静けさの中に、たしかな強さを感じました。その強さがとても美しいなと思いました。
絵なんてこれまで描いたことがなくて、キャンバスに描いたのもアート合宿に行った2回だけ。それでも、こんなにも自分と、人と、繋がれた。
私にとってedgeとは
自分を100%受け入れ、自分の心が欲する「今」を紡いで生きること。
怒涛の日々が過ぎていま
半年の間によくもまあ色んなことが起きたもんだと、改めて振り返ってみました。
私と同じように、止まることを知らない人は案外多いんじゃないかなあと思っています。
私は私ができることを精一杯やっていて、それを自分で認めるということが必要だったと、今回起こった出来事を通じて思いました。
また、私は愛を受け取ってない!と思っているだけで、実は普通に今も過去でも受け取っている、という当たり前のことだったり。
実は、私の中にこんなにも渡したい愛がある、ということだったり。
それは、自分のすべてを懸けてしまうほどの愛なんだということを知りました。
15年を経て私に愛が戻ってきた。
もちろん、それはずっとあったのだけど私が認めていなかったから。
だから、おかえり。
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あとがき
最後に、私の愛の解釈がこれまでと変わったことを、付け加えておく。
愛は、渡したり受け取ったりすると言うけれど、今はちょっと違うと思う。
誰もが色んな愛の部屋を持っていて、渡したいと思う人に出会うと信号が送られて、繋がれば点灯するみたいな感じ。
相手に回路がなければ点かないけれど、その人にも愛の部屋はある。
与え続けて自分にポッカリ穴が開いてしまったりとか、身を削るような気持ちになることはもうないだろう。
そこにはいつでもあたたかな光が灯っている。
▼アート合宿とは
▼edge!!展(終了済み、だけどみんなのプロフィールに感動する!)
▼ビリーフリセットとは