見出し画像

レントゲン室から

 今日親知らずを抜いた。

 あまり印象に残っていなかった医師はそれでもロマンスグレーの髪型になっていた。歳月の長さをしかと感じさせてくれた。ちょうど12年前に、歯の下段の親知らずを抜歯した。歯科医師の説明によれば「高校二年生で下の二本は済んで」その後どういうわけか上段の抜歯を放棄した高校三年生だった。冗談じゃないという剣幕の医師の口調が恐ろしかった。作り笑いでもなければ、咎めるでもない冷酷の表情で見下ろされ、背後に照明が落ち余計恐怖が増した。
 先週から何を怠惰したのか、右の親知らずから波打つ激痛があった。その痛みも「ずよ〜ん」というかずしんと上あごを殴られるような痛みで、なぜ誇張もなくこう表現できるのかといえば私は格闘技を経験していたからだ。ちょっとばかし私のフルネームをGoogle検索にかけてほしい知人たちよ。大会の結果が8番目くらいにあるはずだ。
 そのため悟ったのが「これは神経の痛みである」ということだ。
 医師曰く「右の奥の虫歯で、神経を残せるかどうかの瀬戸際だ」とのことだったがctやらなんやらで、とにかく抜歯の運びとなった。ちくんという痛みと共に麻酔を打たれる。じわりじわり右頬の感覚を失っていく。
 チーズケーキのような歯科助手さんの案内を受けた。おそらく5年ぶりくらいにレントゲン室に入った。スパイ映画で共産国との間で闘う主人公が尋問室に通されるような気分になる明るい密室だった。防護エプロンがさながら拷問器具だろうか。
 そうして撮影したレントゲン写真をモニターに映してくれたので、医師が別の患者さんを診ている間は12年前の自分のレントゲン写真とさっき撮ったものをぼーっと見ていた。医師の言う通りなのかどうなのか、確かに他の歯は根っこをにょきっと張っているが奥歯の親知らずだけ真っ白だった。
 ぼーっとぼーっとしてたら歯科助手さんに手際よく前掛けをつけられていて、いつの間に医師に背後を取られていた。(すいません)そして口を開けて奥歯から犬歯の方面にぐいぐいぐいーっと押された。イタタタタ!と思って医師は「痛いですよ」という相の手が入る。その次に口の端から感じるに金属の面積が割と広い金具を口に入れていた。ガチっという音がして何か欠けたのかどうかと一息ついてもう一往復したと思ったら、麻酔下でも工程のわかる、親知らずをがしっと掴むペンチのような工具とも言える器具で力の限りに引っこ抜こうとするミシミシという音を骨の髄に感じた。
 そうしてものの10分ほどだっただろうか。助手さんの可愛い声で「はい、こちらが本日抜いた歯です。」と、うっすら血をまとった歯を見せてくれた。手に取ってあれやこれや見物して形を見たかったのを我慢して麻酔と抜歯後の食事や運動の注意を聞いた。

 おそらく12年の歳月を経て人間が成長してうんぬんかんぬんを書けばよいのであろうがそうは問屋が下さない。
 施術中ずっとずっと頭にイメージしていたのは、自分はスノーデンか西洋かどこかの諜報員で機密情報を吐かず痛めつけられるような場面だった。いやなんと下世話な。12年間映画ばっか観てきて、当時はTV放映でもない限り手を出さなかったハードボイルドな題材も楽しむようになったということだけであった。

いいなと思ったら応援しよう!