![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157885970/rectangle_large_type_2_d4f93450f959f45dcc27b33ddf8d6152.png?width=1200)
雑記 十月
新しいおうち
大きな庭のあった近所の家が壊され更地になった。
私の町内は、一軒家が壊されたら大概アパートが建つのだが、どうやら個人のお宅が建つらしい。みるみるうちに新築の家が出来た。あっという間だ。
日中は勤めに出ているので、建築の細かな過程は見えなくて、朝と夜に大工さんの一日の仕事を見るだけ。急に柱が立ったり、壁が出現したり、コンクリートが敷かれたりする。どうやら、この家に庭はない。
驚いたのがドアのデザイン。思いがけない色とテクスチュアで、最初は「何でこうなった」と首をかしげていたが、いつしか見慣れた。
今日は、広めの駐車スペースにチョークでのびのびと線路が描かれていた。新しいおうち、よかったね。
ご理解とご協力
通勤の地下鉄では、「ご理解とご協力お願いします」というアナウンスが毎日流れている。乗り遅れたので次の地下鉄を待つ間、ご理解とご協力について考えてみた。
理解と協力がニコイチで出来るときはいいけど、理解しても賛成や納得ができなければ協力しないことがあるし、あまり理解していなくてもアウトプットの部分は協力していることがある。
理解しても自分は協力しない、は、あると思う。自分の優先順位があるから。理解していなくても、とりあえず従っているので、結果協力していることもあると思う。「とりあえず従う」が出来るからそうしているのであって、それが出来なくなれば、どうするか考え始めざるを得ない。
最近は疲れていて、通勤車内でスマホのチェックが面倒なので、ぼーっとそんなことを考えてしまう。目的駅に着けば、雑踏に歩調を合わせて歩き出す。
体験格差
今井悠介『体験格差』を読んだ。
「体験ゼロ」の子ども、というワードに怯んだけれど、グサグサ刺してくる話題が多い。
日本の一般市民においては、イギリスやオーストラリアといったほかの社会に比べて、「子どもが最低限にこれだけは享受するべきであるという生活の期待値が低い」というのは、「日本の一般市民が最低限にこれだけは享受するべきであるという生活の期待値が低い」ということで、自分が、一年に一回の家族旅行やスポーツチームや音楽活動への参加が出来ないことを仕方ないと考える(考えざるを得ない)日本の一般市民が多い、ということなんだろうと私は思う。胸が痛すぎる。
お仕事でリワークの支援に携わっている方のポッドキャストが好きでよく聞くのだが、先日の話題は、職場で鬱になったが復職のためにリワークプログラムを受けている母親の話だった。朝早くから夜遅くまで働き、鬱を発症してしまった。子どもは小学生。しんどい。
どのページにも心抉られることばっか書かれている。その中で、シングルマザーのご家庭で、子どもが先生を慕い週2回の月謝で週4、5回通わせてくれた塾の話は少し心が緩んだ。その先生が年配の男性だったことに、若い先生だったらその余力もなかったかもな…と考えてしまうのは、変に暗過ぎると自分でも思う。
私はその先生に敬意を抱く。そういう人を先生と言うと思う。