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算数の勉強⑦

 算数を先生から習っている。
 この日は、本題の教科書と関係のないところで、先生と話していろいろと感じたことがあるので、それについて書いていて、授業での脈絡や話題とは少しだけ離れています。

湯島聖堂

 合格祈願を願う場所として湯島天神の名前が出て、そう言えば夏に行ったな?行ったな?!というくらい、私の記憶力は大変に脆弱で心配である。
 出張で用務終了となったその場で、最寄りの観光スポットを探したら近くにあったので寄った。建物や展示物も比較的熱心に見たはずであるが、湯島天神だっけ?聖堂だったような??くらいに思い出せなかった。
 あとから冷静になって写真や地図を見ると、訪れたのは湯島聖堂だった。このように、私は大変忘れやすいので、noteに助けられている。書くことで何とか持ち堪えている人生の断片がある。

 湯島天神、湯島天満宮のことは初めて知った。google mapで見たら、ずいぶんと賑やかそうなところ。なんか、気合が入ったところだ。
 私が訪れた湯島聖堂は、通りから少し下って木立の中を行くと、驚くほど静かで人気もなかった。徳川五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため創建したのが始まりだそうで、以来、江戸幕府御用達の学問の中心地であった。
 ここで、宥座之器(ゆうざのき)を試すことができる。

宥座之器(ゆうざのき)
自らの戒めとするために身近に置いてある道具のこと。
「宥坐」は身近や身の回りという意味。
桓公の墓にあった器は「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」という。

四字熟語辞典on-line  より
器は空

 この四字熟語を初めて知り、水を器に汲みながらおぉーと驚いたことを思い出した。器がひっくり返る時は、その一瞬前にひっくり返ることが分かるので、未来が見えるというか、先が定まっているような気がする。ひっくり返り始めたらひっくり返るしかない。ほどほどに水が入っているときに起き上がるというのが面白い。

テスト勉強

 もうすぐ定期考査だから、とテスト範囲をおさらいするし、この問題はテストに出そう、と言うし、子どもが取り組んだことをテストの点数に結び付ける方法が、子どもが帰った後のミーティングで話題になったりする。

 テストが「テストの対象が何を知っているか、何が出来るか、テスト対象がどういうものかを把握するための質問等」だとすると、テスト対策って何でしょうね。
 雑な言い方で申し訳ないが、「テスト対策」って、いわゆる学校の勉強の出来が真ん中くらいの子かそれよりちょっと出来る子に適当であって、すごく出来る子や苦手な子には、あんまり向いていない気がしていて、私自身にはまあまあ適当だったのだと思う。
 あと、「勉強」という言葉には耐え忍んでやるもの、というニュアンスがありますね。この言葉からは、ベートーヴェンの『苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ』を連想する。

何のために勉強するの?

 子どもからこういう質問を、どストレートに聞かれることは、無くはないが多くもない。
 何でこんなことをしないといけないの?
 これが何の役に立つの?
 別に将来も使わないし。
 直近で言われたのは、「海外には行かないし、英語を話す友達ができる予定はないし、どうしても必要ならグーグル翻訳があるから」。だから英単語を覚えるなんてしない、と言う。ふむ、と思ってしまった。

 そういう言葉に答えを返すことは出来ないが、応答はする。場合によって違うので、応えはいつも同じにはならないけれど、ベースは「何もかも役に立たないとも意味はないとも言えるし、そんなのわからないが、何も考えなくていい訳ない、考えるには知識が要る」というようなことを言う。同時に、私は子どもの頃、こういう質問を大人に(も友達にも)したことがあっただろうか、と思う。

 塾講師や教員の採用試験や面接で、こういった問いへの返答が問われることがあるらしい。実際に現場で、どのくらい生徒からこういった問いが出るのだろう。
 誰でも、全くこういった疑問を持たないことはないだろうが、周りの人に問いかけるかどうかというのは別の問題である。問いかけることより、問いかけないことの方に数多の理由があるように思う。