見出し画像

算数の勉強④

 小学四年生の算数を、先生に付いていただき学んでいる。教科書に基づいてやっているので、先生と私の教科書読書会のような趣きがある。私が学習支援の時に感じた疑問に脱線することもある。
 この回は教科書をあまり進めずに、前回の宿題と、ここまでの授業で私が疑問だったことと、最近子どもと取り組んだ算数の話をした。

折れ線グラフ 前回の宿題

 宿題は「身のまわりで使われている折れ線グラフを見つける」ことで、普段どおりの生活の中で目にした折れ線グラフをメモしたのだが、これがたったの1個であった。仕事中に研修で見た、温暖化を示す気温の変化のグラフのみ。子どもと勉強した時にも折れ線グラフは見なかった。
 この日の後、立て続けに会議があって、その配布資料にはどれにも折れ線グラフがあった。宿題に取り組んでいた期間は完全な内務仕事。説明を受けることもすることもないと、折れ線グラフ(グラフと言ってもいい)には出会わないのだなぁという自分なりの発見と、自分の業務内容を点検する機会になった。

最近子どもと取り組んだ算数

 子どもと、データを表にして設問に答える算数の宿題をした。
 表の縦軸が年齢層、横軸が希望の旅先で、データが「20代ヨーロッパ」「50代アジア」「40代国内」…と20個くらい続き、正の字を使い表に整理する。一番希望する人数が少ない旅先は?アジアはどの年代に人気?などの設問がある。(いわゆるマトリックス表。宿題に少々フェイクを入れています)

 折れ線グラフの先に、関数のグラフへの連なりと統計への連なりがある。表の件もあって統計の方面に話が移り、「傾向」とは?という話になった。先生が、資料から傾向を掴むことと人の持つ偏見の話を、具体例を幾つか提示して話された。傾向の掴み方に、沢山の飛躍や前提の不足があると思ったが、それを指摘するための提示であり、その後もいろいろ考えることになった。
 先生は違った見解をお持ちかもしれないが、私としては、お互い生活者として感じたことを言う時間だったので、これはもしかして読書会なのでは?と思うところ。

傾向と偏見

 私が路上でAという商品を販売していて、買った人の半分以上が女性だとする。そろそろ疲れたし帰りたい、商品の残りも少ないからあと一人に声を掛けよう、と思ったら、男性ではなく女性に声を掛けるだろう。
 傾向とは、順番を付けることだと思う。順番を付けるのは「そろそろ疲れたし帰りたい、商品の残りも少ないから」で、人はいつも「そろそろ疲れたし帰りたい、商品の残りも少ない」ような状態にあるから、順番を付ける。

 先生が「数直線は比べられる」とおっしゃった。どういう数直線に並べて比べているかを考えないと、資料を活かすことは出来ないし見誤る。そして、比べているものは、比べられるもので、比べられるものは、比べ易いもののことである、と思う。

教科書の疑問

 疑問は二つあり、ひとつは先の単元に進んだ時に考えるとして、もうひとつは、教科書の文意が取れなかったことなのだけど、それは私が直前の文章を読み飛ばしていたからだった。
 ただ、どうしてもそれを良い文章とは思えず、練度が足りない気がする……あと、なんか改行が変……とゴネたら、先生は「まぁ、此処はオマケみたいな部分で、本文ほど気合いは入ってないでしょうね」とのことだった。たしかに其処は、算数の中身ではないが、近々で歴史の教科書を読んでいたこともあって、もうちょっと言葉にこだわって文を磨いていただきたいナァと偉そうに思った。

 授業を終えてもう一度考えてみて、私がその文章を気に入らなかった理由は、文章のセンスの問題だけでなく、子どものキャラクターの口を借りて、そこで学んで欲しいと教える側が狙っていることを言わせているように感じるところなんだろうと思う。まぁ、これは教える為の教科書なんですけどね。