「時間」「距離」は平等じゃない。
「距離」「時間」って、概念として
頭の中にあるものであって
1分は60秒である、とか
1日は24時間だとか
1キロは1000メートルだとか
地球は1周4万キロだとか
概念としては全ての人にとって
平等だけど
体感としての時間と距離は
平等じゃないんだな〜と
つくづく感じる。
例えば、東京に住んでいる人が
行ったことのない淡路島をイメージすると
「遠い」と感じるというか
思い込んで(決めつけて)いるけど
一度行って、そこで人や土地と
ご縁ができると、東京→淡路島は
「近い」と感じ、心的距離はグッと縮まる。
距離や時間の
「遠い」「近い」「早い」「遅い」って
なんなの?ってなりません?( ・∇・)
距離や時間は、他者との
「秩序」「ルール」的な共通概念であり
実際の距離と時間は
体感による心的感覚を
多くの人は採用しているし
その心的感覚が近い人同士が
「価値観が合う」
「話が合う」
っていうフィーリングに
なるんじゃないかと思う。
ちなみに、距離や時間の概念が薄れ
体感による心的感覚が優位の人は
概念を超越して、奇跡的な現実化を
受け取るんだけど、これが
「移動する人ほど成功者が多い」
と言われる所以なんじゃ無いかと思う。
ちなみに「概念を超越する」って
いうのは、一般的に、常識的に
捉えられている時間や距離の概念の
「想定の外」のことを表しています。
移動をいっぱいして、成功しろ!
と言いたいわけでもなく
成功者を目指す必要はないけれど
ご縁を感じる土地や人
何度も見聞きする地名などあれば
理由なんて探さずに
訪れてみたらいいかも、と思う。
「遠い」とか「時間がかかる」とかは
頭の中の概念につかまって
「思い込み」という名の錯覚を
採用しているだけだから
本当に遠いのか?
実際に訪れたら、そこでどんな体験をし
体感からどんな知覚があるか?
実験というか
自分に冒険をさせてあげれば
良いんじゃないかなって思う。
余談だけれど、これを書きながら
以前、1ヶ月で地球を2周する勢いで
アフリカ、北極圏、ヨーロッパを行き来
したとき「地球は魅力的な遊び場だなぁ♡」
と実感したことを思い出したw
#時間
#距離
#概念
#概念を超越する
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