【あらふぉ~半生を振り返る】足りない人間だけれども
3歩あるくと頭から数字が抜け落ちてしまう。
こういう方、他にもいるだろうか?
私は今でもこれには悩まされていて、小さなメモを持ち歩くことで何とか凌いでいる。
高校で友人になった一人と、一緒にアルバイトをすることになった。
が、レジ打ちのバイトの試験を受けて私だけ落ちてしまった。
暗算が出来なかったためだ。
私は数字を頭に留めておくことがとても困難だ。
よく歴史の時間で習う、語呂合わせなら覚えられる。
しかし、「数字」というものが何かあるようで、デジタル時計を使えるようになるまでかなり時間がかかった。
アナログの時計なら一瞬で「一日のどの辺りか」を理解するのだが、デジタル時計だとワンステップ脳で挟まないと理解できない。
友人はそのアルバイトを辞退してくれて、次の面接は学校の近くのファミレスへ行った。
そのファミレスは女の子の制服がメイドのような可愛い仕様になっており、その点が学生に人気だった。
今のようなメイド喫茶などは無かったので、もしかしたらその走りとも言えるかもしれない。
面接でホールを希望した友人に対して、私は
「洗い場で!」
と希望して驚かれた。
3歩あるくと頭から数字が抜けてしまう最悪な特殊能力を持つ私には、
番号で割り振られたテーブルへ、ものを運ぶのが恐ろしく困難だったのだ。
また、臨機応変に動くことも難しく、ホールは無理だと自己判断したのだ。
洗い場は交代制で、一緒に働く人は主婦のパートさんだった。
大きなトレイに食器を並べて、これまた大きな食器洗い機に突っ込むだけの作業だったが、かなりのスピードで回さないと食器が足りなくなる。
ここで初めて「スピードを求められる仕事」を経験することが出来た。
職場は若い人が多く、雰囲気は悪くなかったと思う。
私は熱い湯気の中、黙々と働いた。
最初のクリーニング屋は数日で辞めたので、お給料を受け取ったかどうか覚えていない。
しかし、ここで初めてしっかりとした1か月分のお給料を手渡しで頂いた時、ちょっと感動したのを覚えている。
前向きに考えて、私はとても足りない人間だがそのことに対し、
自分自身が「足りていない」と早めに把握していたことだけは、ある意味良かったのではないかと思う。
「自分探し」というものが流行っていたが、
「自分をいくら探しても何もかもないわ!」
と、理解していた。
そのおかげで「足りていない部分をいかにして補うか」という作業をし続け、今はその作業自体を楽しむ毎日を送ることが出来ている。
これが私の人生を良くしていることは間違いない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?