【あらふぉ~半生を振り返る】初めての解雇
数々のアルバイトの中で最も印象的なのは、
初めて「解雇」された肉屋だ。
高校では漫研と美術部に所属した。
が、ほぼ部活動をしている暇は無かった。
何しろ入学して数か月後、アルバイトの稼ぎが、飯に直結する事態になったからだ。
学校の近くの大型スーパーの中に入っていた肉屋に販売員として入った。
今はあまり見かけないが、肉やハムなどを量り売りするお店だった。
時間が経った肉は味付け加工されるが、それでも売り切れなかった時にその肉が貰えた。
これが大変にありがたかった。
正直高校生のバイト代なんてたかが知れているわけで、私はセーフティーとして許可されていた家の米で凌いでいた。
たまに、お中元やお歳暮などで家族が持ち帰った海苔を分けてもらったり、鮭の瓶詰を買えた時はまだ良かった。
そこに「味の付いた肉」である。
「出来るだけここでお世話になりたい!!」
という気持ちでウキウキと通っていた。
ある日、いつも通りにシフトに入ると店長が
「経営が厳しいので、今日限りで二人に辞めて頂きたい」
と、社員さんと私に伝えてきた。
その時の感情があまり思い出せないのだが、多分、この先のことを考えていて頭がグルグルしていたのは間違いない。
次のバイト先を決めるまで予定していた収入が無くなるのだから。
案の定、次のバイトはすぐには決まらず間が空いてしまい、月の初めに2,000円を握りしめ、
「どうするコレ」
と、途方に暮れた。
この大ピンチに、母は助け舟を出さなかった。
様子見はしていたと思うが、ここで助けては、
「いざとなれば助けてくれる」という、
甘ちゃんな私が出来上がることを恐れたのだ。
それにしても物理的にどうにも出来ず、私は米に塩を振ったデカいおにぎりを作って凌ぐほかなかった。
高校生である。とにかくお腹が減る。
そんな時、友人グループの一人がそのことを自分の母親に話したらしい。
なんと、そのお母さんは、その子のお弁当と一緒に私にお弁当を作ってくれたのだった。
今でも思い出すと泣いてしまうほどありがたかった。
そうして何とか次のバイト代が入るまで凌ぐことができた。
今その友人と縁が切れてしまって本当に残念に思っている。
私の人間性が足りなかったばかりに、恩を返すチャンスも失ってしまった。
また、数々のバイトで叱ってくれたり褒めてくれたりした方々にも恩を返すことが出来ない。
そんな数々の恩を「恩送り」という形で返そうと、地域ボランティアに参加している。
この先も、生きている限り恩送りは続けていきたいと思っている。
余談だが、そのクラスで私は
「毎日教室で肉まんを食べている人」
と認識されていたことを後に知った。
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