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【あらふぉ~半生を振り返る】はじめに

「自分の半生の話が書きたい。」

40歳で人生が変わる経験をし、50歳へ向かう今、そんなことを考えた。
たぶん、今年クリアしたかった目標を達成して、
「さて次は50歳~55歳くらいまでの目標を立てようか?」
などと気持ちに余裕が出てきたからだと思う。
あるいは、今までやったことが無いことをしてみたいというただの好奇心かもしれない。

私のこれまでの人生を一言でいうと、
「早く人間に、なりたあ~い!!」
の叫びに集約されると思う。
子供の頃から普通のことが普通に出来ない。
今だったら発達障害の、何かしらにカテゴライズされていたかもしれない。
しかし、昭和の時代にはそのような概念は浸透していなかった。
授業の内容は何故そうなるのかと受け入れられず、ほぼほぼ妄想の中に居て他人に興味が無い。
小学校の忘れ物欄に
「たましい」
と書かれるほど、猫のように虚空を見つめている子供だった。

「根性」の一言で全てを片付ける昭和において、「普通」のことが出来ないということは、一人で生きていくのが困難であることを意味した。
高校生で「自分の食いぶちは自分で稼げ」の状況に陥った私には、「普通」になることは重要度MAXだった。

私は徹底的に人を観察した。人の話を聞きまくった。
その過程で、他人の弱さ、そして自分自身の弱さに気づいた。
最終的には、「普通」とは何かを自分なりに解釈し、「自由」を獲得することができたのだ。

そんな、壮大な話に聞こえそうなことを言いながら、多分いたって普通の半生を、これ以上歳を重ねてうっかり忘れたり都合よく改ざんされないうちに、脳から外に出す作業を楽しみながら書いていこうと思う。

ここで一つ断っておきたいのは、私は中学生までの記憶を一度綺麗に無くしてしまっていて、そのあたりの話は人から聞いたり、何かの拍子でポンと思い出したりした曖昧なもだということだ。
何か事件があったとか、そういうものでもなく、未だに原因は不明。
ただ、脳が何かの都合で
「ナクシチャッタ!」
と言うので、
「そうか、まあいっか!」
くらいの感覚で受け止めた。
過去には興味がないし、人間の記憶は主観的に改ざんされやすいものだと認識している。
また、ずっと同じ場所に住んでいなかったので、中学生くらいまでの交友関係もなく、親類縁者との交流もない。

しかし、自分を育ててくれた両親に対しては、
「申し訳ない。これは墓まで持っていくしかない。」
という罪悪感を抱いていた。そのため、両親と過去の話をする時は
「あーそうだったねぇ~…」とか
「いやーちょっと記憶が曖昧だなぁうへへ」
などとかわしていたのだが、結局40歳の転機でこの事実が露呈することになった。

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