【あらふぉ~半生を振り返る】テレビは無くとも子は育つ
「乱視と遠視と近視が全てあります」
4・5歳の時に眼科検診でこのように診断された。
普通に考えると「遺伝」の二文字で解決しそうなところ、
何故か母は「テレビ」を疑った。
母は根本的に決めたことに全てを注ぐ思考で、行動が極端な人だ。
「これ以上悪くならないように、テレビを禁止しなくては!」
と思ったのか単に何かテレビを見て欲しくない理由があったのか真相は謎だが、残念なことに「テレビ禁止令」が発令されてしまった。
しかし、昭和においてこのことが、そこそこ深刻な問題となった。
世はテレビ一強の時代。
猫も杓子もみんなテレビを見ている。
「昨日のドラマ、凄い展開だったね!!」
「あのシーンの〇〇さん(俳優さん)、カッコよかった~!」
と、学校や職場での会話のメインとなっていた。
そう。つまり、テレビはコミュニケーションの中心だった。
私は休み時間になると、小学校の屋上付近によくあるデッドスペースに潜り込み、本を読んでやり過ごしていた。
しかし「テレビっ子世代」と呼ばれる同世代と一緒に学年は上がっていくわけで、ネットの普及でテレビ一強の時代が終わるまで、この件に関しては「変わってる」と言われる一つの要素としてついて回った。
今でもテレビを見る習慣が無く、うちにはテレビが無い。
最近は珍しくもないが、昔は
「テレビが無いなんて!?」
と、よく言われていた。
あまりにも驚かれるので、もう最後の方は何だか可笑しくなってきて、
「某放送局の集金がうるさいので、テレビは窓から捨てました」
と、ネタのように扱っていた。
テレビを見ないで育ち、広告業界に居たからこそよく見える事がある。
「普通」の人が考えている「普通」とは、発信側が見せたかった「虚像」だということ。
そして、その「虚像」に囚われて、何だか生きづらそうにしている人がとても多いことだ。
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