「葬送のフリー電」2024年10月28日の日記
・トイレの重いドアを開けると、電球が切れていた。正確に言えば、大学に行く前はついていたのだが、帰ってきたら付かなくなってしまった。今朝トイレに入った瞬間、えも言えぬ違和感に襲われたのだが、特に確かめることもなく家を出てしまった。それで帰ってきたら付かなくなったのだから寝覚めが悪い。
・あれは電球が切れる前兆だったのだろう。寿命が来ていた電球は本来ほどは光らず、その微妙な変化が私に違和感をもたらしていた。
・遺言を受け取れなかったような気分の悪さがある。家を出る前、電球が切れかけている事に気づき、買いに行かなければと思いながら過ごすのと、帰ってきたら突然死んでいるのでは心の持ちようが違う。本当なら受け取れたはずの電球からの遺言を、私の勘の悪さでふいにしてしまったと思うと、どうにもやり切れない。
・これが朝に違和感なんて感じず、帰ってきたら突然切れていたのなら、「しょうがない、大往生です」と受け入れることもできるのだが、今回はそうも行かない。四十九日は家で供養するかと思っていたら、新たな電球を買う際に店員さんが引き取ってくれた。海に遺骨撒いた気分だ。
・それとは別の部分で、「トイレの電球って切れるんだ」と言う驚きがあった。トイレの電球って切れなそうじゃないですか?リビングが切れるのは分かるんですよ。実際、今の家も蛍光灯変えてるし。でも、トイレは違う。あまり電気を付けている場所でもないし、家の中でもかなり長持ちするのが、トイレの電球だと思う。取り外してみて分かったが、今まで使っていた電球はかなり前の物で、印字が掠れて消えていた。私が今回買った電球は40000時間持つらしく、少なくともこの家に住んでいる間切れることはなさそうだ。私から何人後の住人が同じ驚きを体験するのか考えると、少し楽しみになる。
・これは夕飯で食べたうどん。ここには写ってないが、味玉の天ぷらが美味しかった。讃岐うどんの系の店で、麺にコシがあり、異常に長い。ここのうどんばかり食べていると他に満足できなくなりそうで、やわやわの冷凍うどんを定期的に食べるようにしている。
・『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(阿部幸大)が面白かった。初学者から研究者まで広くに向けた、学術論文を書くために必要なことが書かれている。
・論文を構成しているパーツを極限まで細かく分解することで、初学者が陥りがちな「自分が何をすれば良いか分からない」状態を解決する手法が取られており、「論文」という物の根本的な役割まで説明されている。
・そして、真にこの本で驚くべきは、「この本自体が紹介されている手法で書かれている」部分である。何となく読み進めてみた後に、この本を振り返ると面白いように今さっき学んだ構造で書かれている。読者はまず、この方法がどれだけ優れたものであるかを文字上の意味として学び、その後自身の読書体験で実感するという2重の経験をするのだ。
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