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28歳無職から、38歳上場企業経営者になるまでのストーリー #1

株式会社スタメンで代表取締役を務めておりますCEOの大西です!

5月の頭からスタートしたnoteリレー、スタメンとしては初めての取り組みでしたが、5月の最終営業日に20番目の最終走者を務めさせていただきます!

これまでの記事一覧については、以下をご参照ください。

さて、わたくしごとですが、実は2019年にも半年間、noteでの個人発信に向き合っていた時期がありまして、今回は4年近くぶりのnote投稿となります。

そんな久しぶりの投稿にあたり、会社のnoteリレーのアンカーであることも踏まえて、どういった内容を発信するのが良さそうかな〜、とコンテンツを色々と検討しました。

熟慮の末、今日から複数回に渡って、わたし「大西」の個人としてのキャリアの変化について、棚卸しをしながら、1つの事例としてなるべく赤裸々にお話しさせていただこうと思います。

投稿を何回に分けるかは書きながら調整していきますが、今回からの記事シリーズを読んでいただいた方にとって、キャリアの捉え方に少しでも刺激を与えられるよう、できるかぎり自己開示した生っぽい内容を心がけましたので、最後までお付き合いいただけますと幸いです!

よろしくお願いします!



2013年5月:10年前、「無職」だった雌伏の時

いきなりですが、率直な現時点の気持ちとして、

CEOとして上場企業の経営に携わり、課題は山積みながらも、心強い仲間に囲まれ、大きな目標に向かって健全な挑戦に全力で取り組むことができている私自身のキャリアは、我ながら本当に恵まれているなぁ、と強く感じています。

ただ、これはあくまで、今この瞬間、結果的にそう思えているに過ぎません。

今に至るまで心境の変化がたくさんありましたし、自分のキャリアがこんな風になるなんて、全然想像してきませんでした。

そしてちょうど10年前、2013年に自分がどんな状況だったかというと、当時の私は「28歳、無職、実家暮らし」という状況でした。

両親や友人にも大なり小なりは内心心配してもらっていたと思いますが、当事者の僕自身としても、「大きな夢とやる気」はめちゃくちゃありましたが、それと同じくらい「このままで本当に大丈夫なのか」「自分は自分の望んだ何者かになれるのか」という不安も抱えながら日々を過ごしていたのを覚えています。

繰り返しますが、10年前の「過去の私」に、10年後の「今の私」の状況は1ミリも想像できていませんでしたし、そもそも、経営者になりたいとかも当時から考えたことがありませんでした。

そもそも私は、経営者よりもむしろ、ずっとクリエイターに憧れがあって、タグボートの岡康道さんやサムライの佐藤可士和さん、風とロックの箭内道彦さんなどのスタークリエイターの方々のようなキャリアはどうやったら築けるんだろう?と考えていたり(結果、皆さん独立してクリエイティブ企業の代表をされていますが)、自分と比較的近い世代にかかわらず、当時からデジタル領域を中心に大活躍されていたWhateverの川村真司さんやPartyの中村洋基さんのような方々と、自分のその時の現在地を比べてみた時に、そのあまりにかけ離れた距離感に、先の見えない焦燥感を抱えていたのを今でも覚えています。

そして、そこから10年間の中で様々な紆余曲折を経たことで、クリエイターへのリスペクトは今も強く持ちながら、私自身は今現在、ITスタートアップの経営者を務めるに至りました。

これまでの過程で、自分のキャリアに対しての考え方が徐々に変わってきたように思います。ただ、その時々の心境は、時間が経ってもけっこう心に残って、覚えているものです。(←この、過去を意外と覚えているってのは、けっこう大事なポイントなんじゃないかと思ってます)

10年という時間が起こす変化は、まとまった時間として振り返ってみると本当に大きくて、人生って何が起こるか本当に分からないものだなぁと思いますし、だからこそ、良い意味でも悪い意味でも、これからも先も「今は想像もしない」ような変化が、自分の人生にきっと起こっていくんだろうなぁと思っています。

今、この投稿を読んでくださっている方の中には、現在時点でのご自身のキャリアやお仕事、役割、ミッションに対して、とてもポジティブで、充実感や未来への希望を強く感じている人もいらっしゃれば、反対に、すごくネガティブに現在地を捉えていて、不安や不満、焦りや劣等感を感じている人もいらっしゃると思います。ちょうど中間にあって、大きな不満は無いが、漠然とした不安はあるといった方も少なくないでしょう。

未来や将来というものは、どこまでいっても完全には見通せないものですし、変動要因が多いからこそ、プラスに転じる可能性もあれば、マイナスに転じる可能性もあるものです。なので、大なり小なり不安や焦りを感じるのは、ごく自然な反応だと私は考えています。

ただ、現状の改善・打開に向けて、一定程度は悲観シナリオも想定して将来予測をするのは効果的だしアリだと思うのですが、必要以上に「現状と未来」をネガティブに捉えて気を落としてしまっても、それを乗り越えるためのエネルギーが湧きづらくなってしまうとも思います。

課題に真摯に向き合った後は、できるだけ前向きに、ある種、楽観的なくらいでちょうど良い場合が多いので、先々がどうなっているかの予測はほどほどにして、「今、この瞬間」に対してのアクションを最大化する動き方に舵を切った方が賢明だということを知っておいていただくと良いのかなと。

この後記載していく私のキャリア推移のサマリを通して、1つの事例として、将来予測をポジティブに捉えるキッカケにしていただけたら幸いです。前置きが長くなってしまいましたが、ここから本題に入っていきます。

当時住んでいた実家の自室。ビジネス書から小説まで本はわりかしたくさん読んでいました。


2023年5月:38歳、スタメンでのキャリアサマリ

過去のキャリアを振り返る前に、まずは私の現在地点について、改めて簡単にご紹介できればと思います。

詳細は、スタメンのコーポレートサイトや決算説明資料などをご参照いただきたいのですが、私たちスタメンは、2023年1月からの新年度より「グループ経営体制」に移行し、大きな組織変更や権限移譲を推し進めています。

私自身も、昨年末までは取締役副社長だったのですが、1月から前任の加藤より代表取締役社長の任を引き継ぎ、上場企業の経営を代表者として担っていくこととなりました。

創業代表であり筆頭株主でもある加藤も、引き続きスタメングループの経営にフルコミットしており、新規事業創出をゼロベースで仕掛けていくために、スタメン100%子会社の「株式会社Quality Start」を設立し、グループ全体での事業価値向上に向けて新たな挑戦をスタートさせています。

私のスタメンでのこれまでの歩みは、2016年8月にスタメンを3人で共同創業し(会社の設立登記は2016年1月)、2020年12月に東証マザーズに上場、そして昨年末に至るまで、取締役として会社の経営に様々な形で関わってきました。

役割でいうと、COO(事業立ち上げ)〜CPO(プロダクトオーナー)〜CHRO(採用推進・多拠点展開)〜CFO(デッドファイナンス・上場準備)〜COO(上場後の事業テコ入れ)と経てきており、今年1月からCEOとしてグループ経営全体を束ねるミッションを担うことになりました。

これが私の、キャリアにおける現在地点です。ここから過去に遡っていきます。

スタメン創業のオフィス。15ヶ月をここで過ごしました。


2008年〜2012年夏:クリエイターになれず、地方に配属になった生意気な男

私は、1984年生まれ、出身は大阪です。高校卒業後に地元を離れ、茨城県にある筑波大学に進学しました。大学での学業成績は惨憺たるもので、授業や学業はそっちのけで、高校から続けていたバンド活動に精を出し、在学中でのべ200回以上は一都三県の各地でライブをやりまくる生活をしていました。

そして、大学卒業後に選んだ新卒でのファーストキャリアは、業界4番手の広告会社でした。華のある東京のマスコミ業界に就職して、クリエイターへの道をガンガンに突き進んでやるぞ!と意気込んでいたのですが、故あって、思いもよらず名古屋支社の営業局に配属になりました。

縁もゆかりも無い場所に、突如として望まぬ形で赴任することになったのですが、なんやかんやあって、名古屋での生活にもしっかり馴染み、広告の仕事にどんどん飲めり込んでいました。

そんな中、後にスタメンを共に創業することになる加藤と「お客様」と「営業マン」という関係で出会います。そんな最初の出会いから、8年後の2016年にスタメンを経営していくことになります。

ここまでの詳しい経緯については、2018年時点に一度、Wantedlyの投稿記事にまとめてありまして、もしご興味があればそちらもご参照いただけると嬉しいです。20代前半〜中盤くらいの方には、そちらの記事の方が共感ポイントが多いかもしれません。

改めて読み返してみると、この後お伝えしたいポイントのほとんどが下記の記事でも言及されていて、5年経ってもやっぱり根本の考えていることは変わんないものなんだなぁ〜、と実感しました。


2012年秋〜同年末:グローバルな環境で、人生で一番のハードワークを経験

新卒で入社した広告会社に4年半勤めた後、はじめての転職で大手のアパレルメーカーに転身します。

結果からお伝えすると、このアパレルメーカーを退職した後に、冒頭に記載した「28歳、無職、実家暮らし」という状況に突入します。2社目の会社は、わずか4ヶ月での短期退職となってしまいました。

新しく飛び込んだこの会社では、2012年当時、グローバル採用がめちゃくちゃ推進されていました(今もそうかもですが)。そういったフェーズだったこともあり、入社後すぐに、中途入社の同期と海外採用のメンバーを合わせて40人くらいで育成プログラムに取り組むことになり、中国、韓国、アメリカ、インドネシア、バングラデッシュなどなど多国籍なメンバーと一緒に、英語で育成プログラムを進めていき、とても刺激的で恵まれた環境でした(研修に同時翻訳の通訳者の方が2名も配置されていたのが印象的だった)

日本人の同期も出自が様々で、元J2リーガーだったり、元ホテルの支配人だったり、元外資のITコンサルタントだったり、それまでの広告会社でのキャリアだと接点を持つことがなかったような人たちと仲間になれて、お互いを高め合える関係づくりもすることができました。

ただ、先ほども書いた通りで結果的には、わずか4ヶ月での短期離職となりました。今は企業の採用活動を行う側にいるので、中途人材の短期離職は企業にとっても入社者にとっても、双方にとって非常に損失が多く、本当に避けたい事象だということが、その当時以上に身に染みて分かります。

今でもその時の退職決断に後悔はありませんが、自分としては、2週間悩んだ末に判断したとても思い切った意思決定でした。

どうしても企業カルチャーに馴染めなかったことと、わずか4ヶ月とはいえ、人生で最もハードワークし、毎日ほとんどの時間を仕事に投下しているにもかかわらず、自分の目指すキャリアパスに対して前進できている実感が持てなかったことが原因だと捉えています。

余談ですが、超大手企業から創業スタートアップ、海外拠点立ち上げ、激務で知られる広告業界まで幅広い環境で働いてきましたが、この時の4ヶ月間が最もハードに仕事をしていました。

一番規模が大きくて、一番仕組み化されている会社での勤務が一番ハードだったことを経験しているので、新卒採用などのシーンで学生の方が検討軸の1つにしがちな、大手は業務負荷が少なくて、ベンチャーやスタートアップ、海外での仕事は業務負荷が高い、という風説は、なんとなく感じる印象や一定の統計に過ぎない、ということを改めてお伝えできればと思います。業務環境や就業スタイルについては、企業ごとに個体差がめちゃくちゃあるので、くれぐれも個社ごとの個別判断することをオススメします。

また、私の経験上で最もハードワークだった会社が、業績的にはその前後の時間軸を含めても、最も絶対額の経営数字が伸びており、最も働き方がゆるかった会社が、業績的には最も下降線を辿っているという事実もあります。あくまで、私の経験内でのことですが。

決して、ハードワークを礼賛したいわけではありません。そこは誤解のなきよう。

ただ、自身の経験した事実については、ちゃんと気に留めておかなければな、とも考えています。ワーク・ライフ・バランスは当然重要ですが、その中で、どうやって企業や組織が事業としての「勝ちシナリオ」を築いているかが肝要です。

だいぶ話が逸れましたが、兎にも角にも、初めての転職で「この会社で世界トップを目指そう、この会社で長く働いて経験を積んで、ここからキャリアを大きく広げていこう!」と意気込んだにもかかわらず、4ヶ月でドロップアウトすることとなったのです。

この時点で退職後、すぐに次の勤務先を求めて転職活動することもできました。ただこの時は、その決断はしませんでした。それには理由があります。

(次回に続く、、、)

当時は、"TO THE WORLD"っていう気持ちで飛び込んだ環境でした。


今回のまとめ

今回は、「無職前夜」までお届けさせていただきました。

この続きは、また次回の投稿でお伝えできればと思います。次回以降も最後までお読みいただけたら嬉しいです!

また、スタメンnoteリレー第1弾としては、今回の投稿が最終回になります。

色々な切り口で、当社メンバーが自分たちの趣味嗜好や経験を活かした発信を行ってくれていますので、未読の方はこれをキッカケにピンときた投稿に目を留めてもらえますと幸いです。

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