「らくごのご」と震災の思い出 24.06.12

桂ざこば師匠が亡くなられたそうで…
関西住みだとなじみ深い落語家さんです。
ざこば師匠は元は「朝丸(ちょうまる)」で、ざこばを襲名した後、よく「べかこ」現・桂南光と間違われてマジ切れしてらした記憶があります。
いや逆だったかな…。

ざこば師匠というと、90年代初めごろの深夜のTV番組で「らくごのご」というものがあったのを思い出します。
「らくごのご」は、笑福亭鶴瓶と桂ざこば二人が、当日の客席のお客さんからお題をもらって即興で落語をするというエキサイティングなものでした。
そつなくうまくまとめる鶴瓶に対し、ざこば師匠は毎回苦しんで苦し紛れのウルトラCを繰り出し、見てる方もハラハラするある意味ドキュメンタリーで、ざこば師匠の人間性もよく表してたと思います。
ゲストで星野仙一さんが来られた時には、ざこばさんが星野さんに向かって「どうしようもなくなった時どないしはりますか?泣きますか?」と言ってたのも印象に残ってます。実際ほんとに泣いていらしたときもありました。

で、今回書くのはざこば師匠の話ではなく、らくごのごでお題を提供したお客さんの話です。
その人は大学4回生で、自分は非常に変わった名前だと言いました。お名前はと問うと、「北斗一(ほくといち)」と名乗られました。ほくといちがお名前で、苗字は忘れてしまっていたのですが、それが非常に印象に残っており、眼鏡をかけたお顔もよく覚えています。
それがたしか、1994年の暮れぐらいに放映されていた記憶があります。

明けて1995年、1月17日に阪神淡路大震災が起こりました。
当時滋賀県に住んでいた私の家もかなり揺れ、TVをつけて倒壊した阪神高速に言葉を失いました。焼け野原の神戸の映像を見た時の衝撃、悲しみは計り知れないものでした。
当時西宮に住んでいた姉の義両親も被害を受けこちらに避難してきたり、いつも野球中継を聞いていたラジオ局のアナウンサーが被害状況を伝え、物資輸送のヘリが上空を飛び回り、恐ろしさに震えました。
滋賀は直接的な被害はほとんどありませんでしたが、大阪兵庫には親類や知人、友人も多く決して他人ごとではありませんでしたし、世の中にこんなに恐ろしく悲しいことがあるのかと思いました。

そして新聞で毎日状況を確認し、震災の犠牲者の名前に知り合いはいないかと探して、私はその中に「松井北斗一(22)」という名前を見つけたのです。
間違いようのない、TVで見たあの人でした。
改めて調べてみたら関大の学生さんだったようで、当時の校内新聞が出てきました。

https://www.kansai-u.ac.jp/nenshi/sys_img/article_9_80.pdf

いまだにどう形容してよいかわからない気持ちになる思い出ですが、らくごのごで思い出したので書いてみました。
改めて阪神淡路大震災の被害者の皆様に哀悼の意を表し、桂ざこば師匠のご逝去に際しお悔やみを申し上げます。

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