おばあちゃんの玉子焼き 24.08.20

母の実家は大阪市近郊で商売をやっていました。
何の店かはよくわからないのですが、主に食料品を扱っていたようで、商品の中には祖母が焼く玉子焼きがありました。
その商売は孫である私が小学生の頃くらいまではやっており、商売を辞めてからもよく作ってくれた祖母の玉子焼きは私たち家族の好物でもありました。

祖母が亡くなったのは私が20代前半の頃でした。
心臓を悪くしてペースメーカーを埋め込み、何度も入退院を繰り返し、入院末期には親戚一同が交替で付き添ったものでした。
かくいう私も一度付き添いにあたり、大阪の病院まで出向いた記憶があります。そのころ看病の仕方などもわからないものですから、祖母の話し相手と食事介助などを行いました。
祖母はご飯を食べないと聞いていたので戦々恐々としていたのですが、私が祖母の口に運んだご飯を「おいしい」と食べてくれて拍子抜けしました。
なんや食べてくれるやんと介助していたら、途中で祖母と同居していた従妹がやってきて、「まだたくさん残ってるやん」と私からスプーンを奪って、おかずもご飯も一緒くたに混ぜてしまってそれを無理やり祖母の口に入れ始め、私はびっくりしてしまいました。私の様子に気が付いた従妹はバツが悪そうに「こうでもせな減らへんねん」と言いました。
ご飯を食べないと聞いていたのはこのせいだったのかと思いました。
あれだけ美味しい玉子焼きを作る祖母が、犬も食べないようなご飯を口にするのはどれほどの苦痛だったかと思います。

ちなみに介護職に就いた時もそういう食べさせ方をする職員さんはたくさんいました。私は祖母の経験があったので、混ぜるにしても違和感のないものをと考えて介助するようにしていました。
それはこれからもどんな場面でも変わらないと思います。

祖母は一時滋賀の我が家に滞在したことがありました。
それは何でだったかは不明ですが、結構な長期で、祖母に食事を作って出していたのは当時我が家の炊事担当だった私でした。料理上手な祖母でしたから緊張しながら作ったのですが、ひき肉と玉ねぎのみじん切りを出汁で炊いて薄く味付けをして卵でとじたもの、私たちはそれを「なたね」と呼んでいたのですが、ある日それを出したら「あんた料理うまいな」と言ってもらえました。
孫の作ったものだからかもしれませんが、素直に嬉しかったです。

そんな祖母の作っていた玉子焼きを再現できないかと思い始めたのはここ3年ほどの事でした。
昔もチャレンジしなかったわけではありませんが、ほんの少し甘くて柔らかく口当たりの良い玉子焼き、今思えばあれはだし巻き玉子だったのですが、どう頑張ってもパサパサの固いものしかできませんでした。そしてあのほんのりとした甘さは砂糖を入れても程遠く、その正体は何なのか長年の謎でした。

大人になってだし巻き玉子というものの存在を知り、おばあちゃんの玉子焼きはこれなんじゃないかと思って真似て作ってみました。
かつおと昆布で出汁を取り、片栗粉を入れて、卵液をそれで薄めて焼く。私の最初の作り方はそれで、かなり近いものはできましたが微妙に違う。
一番近くで玉子焼き作りを見ていた母に聞き取りをしてみると、色々と味の秘密が分かってきました。最初からそうすれば良かったのですが、それを知ってるくらいなら母が再現できていたはずなので聞いても無駄だろうと思っていたのです。

まず私は鰹と昆布の出汁を取りましたが、母曰く、そんないいものを使っていない、祖母が使っていたのはいろんな魚の混合の削り節で昆布は使わなかったとの事でした。大きな鍋に水を張り、削り節をたくさん入れて炊き上げて一気に作っていたそうですが、それは遊び人だった祖父の仕事だったそうです。
そして粉は「うき粉」というものを使っていたとのこと。
うき粉は現在でも購入できますが、現在は主に小麦が原料で、祖母はさつまいもが原料のものを使っていたとのことでした。
ほんのりとしたあの独特の甘さは、でんぷんが熱を加えられて糖化したものだったのだろうと思いましたが、さつまいも原料の甘さもあったのかもしれないとは母の弁。
あとは玉子焼き器です。
今はテフロン加工のものもありますが、祖母は銅製の大きなものを何個も並べて、大きなガスコンロで焼いていたそうでした。
調べると銅は熱伝導性が高くきれいに焼けるとのこと。
それを知った私は難波の道具屋筋まで買いに行ったのですが、純銅製の玉子焼き器はなく、錫をかぶせたものを購入しました。今調べたら純銅製のものもあるようなのでいずれ購入したいです。ちなみに玉子焼き器はないくせに、純銅製のタコ焼き器はあったのが大阪だなあと思いました。

そして、卵とうき粉を入れた出汁を3対1くらいで混ぜ合わせて銅の玉子焼き機で焼いたそれは、不格好ながらかなり祖母の味に近いものになりました。
出汁がかなり多いので綺麗に焼くのが難しいのですが、昔は卵も貴重品であっただろうし、それをかさ増しするのに出汁で薄めうき粉で繋いだのであろうし、出汁をとった削り節もうき粉もどちらかというと庶民の味だっただろうし、当時あるもので作り上げたら奇跡的に美味しかったと、いうことなのかと思います。

ちなみに現在さつまいものうき粉はないのですが、わらび餅粉がさつまいも原料のことが多いので、それを使用しました。
混合削り節は今も普通に買えます。鰹節よりは少し安いです。


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