母親の入院遍歴と現在~その2
前回に引き続きちょっと重たい話になっております。
自分の記録として書いているのが大きいので、気が向かれた方や何かの参考になるかなと思われる方に。
借金のため働きづめに働いていたころ母親が交通事故にあって、しばらくは入院を余儀なくされました。
幸いというか私はその当時は夜勤だったため、昼は家のことをやりつつ母の病院に通いました。
頭の怪我
母が救急搬送されたのは古めの総合病院です。
当時、脳外科が弱いと言われていた病院だったので、小脳の手術には親族が反対しました。しかし、救急搬送されて必要な手術だったのでやらざるを得ませんでした。
幸いだったのは、その日たまたま県の大学病院から脳外科の腕の良い先生が来られていて、執刀医がその先生だったのです。
おかげさまで手術は成功しましたが、脳の損傷は前頭葉にもあり、記憶に障害が出るかもしれない旨、あとてんかんの恐れもあるので数年は薬を飲み続けなければいけない旨を告げられました。
そして外見にも傷が残りました。
小脳の手術では後頭部を開いたので、その縫合痕には頭髪が生えてこなくなりカツラが必要になりました。これはのちに、障害者手帳をいただけたと思うんですが(かなりギリギリでしたが)、今は基準が変わっているかもしれません。
ちなみに母はこの9年後に脳梗塞を発症するのですが、損傷による障害という点では脳梗塞のほうが酷かったです。むしろ、発症前からも同じことを何回も言ったり、もともと怒りっぽかったのがさらに怒りやすくなってたり、今思えば、ということがけっこうありました。
これはまたのちに詳しく書こうと思います。
保険会社の対応に感謝する
相手方の保険会社なのですが、これは本当に感謝しています。
良かったことなのでお名前を出しますが、現東京海上日動です。
担当者さんの対応も良く、車対自転車でほぼ車が悪いので当たり前といえば当たり前ですが、ごねられたり不快な思いも私はしませんでした。
はじめは入院費の心配をしていたのですが、交通事故被害者だと入院費や治療費もすべて相手持ちになるので、保険証は使わないようにと病院から言われました。実際病院にかかる費用は払わず、最初8人の大部屋だったのが希望を出したら二人部屋に変えていただけて、同室の方がいなかったのでほぼ一人部屋でこれも助かりました。
でもこれもお相手が保険に入ってくださっていたからこそでした。
それこそ無保険の車に轢かれていたなら目も当てられなかったでしょう。
当たり前かもしれませんが、その当たり前のことをやってない人もいる時点でここも本当にありがたいことだったと思っています。
その時の記憶があるので、私自身も長い間車の保険は東京海上日動さんにお任せしていました。何かの時はしっかり保障していただけることを、身をもって知っていたからです。
仕事への熱意が回復を助ける
そして母の状態ですが、しばらくはかなり危なかったと記憶しています。
これは本当に回復するのか、寝たきりになってしまうのではないかと、最初のうちは何をしててもそればかり考えてしまっていました。
ただ私は、このころの母の状態を、今はほとんど思い出せません。
のちの脳梗塞の時の記憶とごっちゃになっているのかもしれませんし、結構ハードな記憶なのであまり思い出したくないのかもしれません。
一つ記憶にあるのは、母の病状で何かひとつトンネルを抜けたように思える出来事があって、それをたまたまお見舞いに来てくださっていた相手様に、うれしくて涙を流して報告した事です。私は純粋にうれしかったのですが、その時の相手様の複雑そうな表情が今も忘れられないのです。
そんなことで涙を流して喜ぶほどのケガを負わせてしまったのかと思わせてしまったのかもしれません。結構後で気が付いて、申し訳なかったなと思いました。
ただ母は、驚異的な回復を見せました。
これはのちの入院でも言えることですが、仕事へ早く復帰したいという思いが母を支えたのです。入院して一か月半後には病院の廊下を歩き、バス一本で行ける当時の職場の様子を見に行きたいと言い出したりもしました。
頭の手術をしたので、頭髪が生えてこなくなった部分も無関係に丸坊主になっていて、その頃は5分刈りになっていたので、隠すためのニット帽が欲しいとも言っていました。
事故にあったのが10月の下旬でしたが、二人部屋に一人で入っていたのが重篤な患者さんが入院されてきたので、母自らが退院すると言い出し、12月末にはバタバタと退院となりました。まだ仕事に復帰するのは無理でしたが、自宅で生活することを許されたのでした。
母は何とか自宅で年を越すことができたのです。
最初の交通事故による入院は、ひとまずここまでです。
これから自宅からしばらくは通院の日々で、社会復帰には時間がかかりましたが年が明けて年内には仕事に戻れたと記憶しています。
ただ、もう自分で自転車をこぐ移動はできなくなり、てんかんの薬の副作用でかなり太ってしまいました。
これが9年後の脳梗塞につながったと私は思っています。
次回はひとまず今回の事故の余談になります。
そののち次の入院である、脳梗塞の話になります。