国を憂う

いつぞやの日曜日の夜、うとうとしていて目を覚ましたら家族の見ているテレビからオカリナの音楽が聞こえてきて、ものすごい郷愁に襲われました。
人生なんてあっという間だなあ、言ってる間に60になり、もしかしたら明日にでも死ぬかもしれない。何もない人生だったけどいいものにたくさん出会えたし家族も守れて幸せだったなあ、今一緒の時代に生きている大好きな人たちも幸せだったらいいなと、ほんの一瞬でいろいろな思いが浮かびました。
のらりくらりと生きているうちにかなりないい年になり、この年なりの生きづらさはまあありますが、私は今が一番生きるのが楽です。
ただ残りの人生もそんなに残っていないのも事実だと思います。
周囲に迷惑をかけずひっそりと死んでゆくことだけ考えていましたが、どうせ生まれてきたなら何か世の為になることをしたいなと、なんだかそんな風に思いました。

私はずっと日本に住んでいますが、米国には向こうでアフリカ系の男性と結婚して骨を埋めようとしている叔母がおり、その子供たち、私にとってのいとこたちも結婚し、一人は白人男性と結婚し子供も生まれ、ワールドワイドな家族写真が送られてきたりします。
家業をたたんだ後は長い間工場で働きましたが、工場には外国人の方も多く、アジアを中心に様々な人種の方がおられました。インド人の社員さんととスコットランド人のパートさんが英語でやりとりしていたり、時期によりブラジル、モンゴル、フィリピンなどの人々がたくさん働いていました。中国の方は時期を問わずいつもたくさんおられたと思います。

そういう環境でしたので外国人の方に対して特別思うところはないのですが、中国の方の多さには危機感を感じます。年代も様々で、どういう立場の人だったのか中年以降の方も多かったし、大学の留学生のバイトも非常に多かったです。今思えばそれだけの数の中国人が日本の大学に来ていたわけで、今でも街中では中国人と一目で分かる方も多く(とにかく声が大きいし、声を出してなくても雰囲気が独特)ちょっと恐ろしくなる時もあります。中国の方にはたくさん接しましたが、私の接してきたのは基本自分の事しか考えない人々で、良くも悪くも裏表がなく、10人に一人くらい聖人のような人がいます。けっこうな数(100人は超える)に仕事で相対した経験からきている体感なのでここは差別だと思わないでいただいきたいのですが、個人的にはあまり関わりたくない人々です。いい人もいますが、極端なうえ確率が低すぎるのです。
ここ数年は仕事などで関わることはありませんが、基本の国民性のようなものは大差ないのではと思います。ただ、地域差はあるらしいです。
南(上海など)よりは北(北京など)の方が真面目な人が多いらしいです。

かつて自営業でやっていた仕事は今国内からほぼなくなり、今でこそベトナムやカンボジアのものも多くなってますが、ほぼ中国製です。それはかつての家業に限らず製造業全般にそうだと思いますし、ここにも危機感を感じています。
中国人の方の能力が低いとは私は思いません。
学生の方など優秀な方もたくさん見ましたし、基本うまくやってさぼりたい人が目立つだけで、決して能力が劣っているわけではないのです。さらに言うと10人に一人の聖人以外は基本自分のことしか考えない人々です。だからこそ私は危機感を感じるのです。こうやって私レベルで感じること以上に経済や文化、もっと根の深いところで侵食されているように感じています。

おこがましいのかもしれませんが、こう考えたとき私にできることは何だろうと思いました。
モノづくり日本としてはけっこうもう末期状態で、取り返しのつかないところに来ているようにも思います。そうやって少しずつ力を削がれ、よい国だともてはやされるも、気が付いたら自分たちでは何も作れない国になっているのかもしれません。
わたしはかつてこの国のモノづくりの一端を担った人間として、そこに重荷を感じています。
どうやったら日本という国を他国の侵食から守れるか、私レベルでできる事を今も考えていますし、そろそろ行動しなければとも思っています。

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