相続登記と滅失登記の苦闘の記録~その6 郷土史への興味が生まれる

相続登記が無事終了したタイミングで、かつて存在したけど経年劣化で崩れ落ちて、結構前に取り壊した木造二階建ての建築物の滅失登記を行います。滅失登記を行うと閉鎖事項証明書という書類でかつてこの土地にこの建物が存在してこの日に取り壊しましたという記録がみられるのです。
全部事項で出てきちゃダメなんですけど出てきちゃったんですねえ…。
絶望しましたねえ…。

登記記録には建物の住所および構造や床面積、増改築があった場合はその日付などが記録されてる表題部と、売買や相続で所有権等の移転があったり抵当にいれられたり差し押さえがあった場合が記録されてる権利部が甲乙部に分かれて記載されています。

今回あたらめて権利部(乙区)を見てみると、抵当権の設定がされているのを見つけました。昭和8年で、債権額は当時のお金で160円です。
差し押さえになってないけど抵当権が抹消されていないのは、古い登記簿を見ると同じ敷地内にもう一軒家があったのがわかるのですが、どうもその家を借りたお金の代わりに譲ったようなのですね。そういえば私が20歳くらいの頃にはその家があって、そこに近所の親戚のおばさんが住んでいました。どうもそういうことだったみたいです。
ちなみにその家はもうありません。おそらくは登記もされてない家だったのでしょう。壊して終わりです。

ちなみに父が購入した今回滅失登記を行う家も、父に売るとなってから登記を行ったようで、それ以前の登記情報は残っていません。しかしこうして昭和8年に抵当権の設定がなされていたことを見ると、そのころにはすでに存在していた事がわかります。
こういう古い抵当権が設定されたまま残ってるパターンはけっこうあるようで、一応対処の方法もあるようなのですが、そもそも家の売買をするときに司法書士の方が問題ないとしてそのままにしておいたものらしいので、もうこのままにしておきます。最初は正直勘弁してくれよと思ったのですが、こういう記録を見ると当時の状況がうかがえて興味深いです。あと何よりも父が買った時点でも相当古い建物だったのが昭和8年にはすでに存在したということで、下手すれば大正末期くらいの築だったことも伺えるのです。
現在建物の建っていた後には敷石と、玄関前のたたきのコンクリート部分がわずかに残っています。それが五箇荘の近江商人屋敷の茶室跡の敷石にそっくりで、当時から立派な建物だった事が伺えるのです。
ちなみにもう一つ面白いのは、コンクリートは固める時小石なんかを混ぜることも多いですが、この家は湖の近くでしじみ貝が取れたのもあるのか、コンクリートの中の混ぜ物に貝殻が入ってるのです。私はぜひ残したいんですが、近所の人がトラクター走らせたりしてるのでだんだん壊れてきています。私もしっかり管理できないので何とも言えないのですがとりあえずもどかしいです。

私はこの登記の作業を通じて、もともと郷土史に興味があったのが具体的な興味を持つようになりました。私は大阪出身ですが生まれたのも借家で故郷らしい故郷でもなく、ただ住み着いただけのこの地に結構な愛着を感じるようにもなっていました。
調べている過程で旧土地台帳というもので、その土地に誰が住んでどうなったかの記録が見れると知ったので、いつか閲覧したいと思っています。注意しなければならないのは、旧のつかない土地台帳を見ようとするとクッソ怒られるらしいということです。

閑話休題回でしたがのんびりできるのはここまでです。
ここから出口の見えない戦いが始まります。


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