プロテスタントのクリスチャン
今回少しセンシティブな記事になると思うので一部有料という形で隔離したいと思います。興味のある方はよろしくお願いします。
私は高校3年生の時に信じて、22歳の時に洗礼を受けたプロテスタントのクリスチャンです。
これ言うと洗礼名は?とかたまに聞かれるんですが、カトリックだとあるそうですがプロテスタントはそういうのありません。
無駄を省いたシンプルキリスト教です。
ただ私は信心はとてもあるんですが、教会に行ったり奉仕したりというのを完全に放棄しており、教会に限らず多くの人と交流を持つのが苦手なので信者さんの交流にも入れていません。
でもイエス様はめっちゃ信じてるしめっちゃ祈って毎日過ごしてます。
今回はそのいきさつ話と、ちょっときわどいんですが語るのに外せないのもあり、カルトや新興宗教の話もしたいと思います。
私は自分で言うのもなんですが子供のころから信心深く、地元の神社へ学校帰りにお参りしてたり近所の寺の日曜学校に行ってみたり(滋賀は寺が多いです。小さな在所に3つ4つ普通にあります。宗派によるもののようで在所ではお寺は普通に生活の中に息づいているものでした)やっぱりなんか違うと思ってやめてみたりいろいろやってました。
キリスト教は、父の妹にあたる人がクリスチャンだったので小さいころから聖書を譲り受けて親しんではいました。でも普通の感覚で読むと、親や家族を捨ててついて来いとか戦えとか言ってて不穏だなという印象でした。
聖書は人間の感覚で読むと必ずどっかで引っかかると思うんですが、それはきっと人によって、モーセの奇跡が信じられないとかノアの箱舟なんかなかったとか、そういうのを信じられない人もいるだろうけど、私の場合は家族だったのが面白いなと自分で思っています。奇跡に関してはそういうこともあるかもしれないという感覚で。今も自分で見えはしないけど超常現象とかは否定しません。むしろ神様は目に見えない筆頭ですしね。幽霊とか絶対いない信じないっていう人なんかはなんでそこまで否定したいのかと思ってしまいます。霊感商法なんかに使われるからかな、そういう意味では私も否定しますが。
タロットも、占いはキリスト教では良いものとはされませんが、絵柄のルーツは聖書にまつわるものが多いので(代表的なものはタワー、審判など)、タロットに興味のある方は聖書のことも少し調べられても面白いかもしれません。
この先は有料部分になり、私の個人的な経験と、聖書に基づいた見解を書いていますがひとつだけ大事なことを。
もし、カルトや紛らわしい異端に遭遇したら、
「イエス・キリストは神か」
という質問をしてみてください。
異端やカルトであれば口がひんまがっても嘘でもイエス・キリストは神とは言いません。教義がひっくりかえるからです。
キリスト教も怪しいと思われるならそれはそれでいいのですが、キリスト教に興味があって教えを聞いてみたいと、もし思われたらそういう基準で団体を選んでみてください。異端にひっかかったら目も当てられない、と経験者が警告しておきます。以下そういうお話です。
ここから先は
¥ 100
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?