断捨離考 24.11.06
本日破砕、粗大ごみの日で、使ってない電気器具や欠けた食器など処分しました。
亡き父が母にと買ったフィットネスバイクというんですかね、ルームマーチプロというものも処分しました。父が買ったというか、父に頼まれて私が買ったんですが、結局母は使わずじまい。アマゾンで買ったので記録が残っており、2011年の2月に購入していました。脳梗塞で入院していた母親が何とか退院してきた頃です。その翌年には父が先に亡くなってしまいましたけどね。人間はわからないものです。
あとは十数年使ってたドライヤーの風が出なくなったのでそれも。
そして高校入学とともに自分で選んで1500円で買って、引っ越しや家の建て替えなども乗り越えて今に至ったNEC製電気スタンドを思い切って処分しました。
まだ使えるといえば使えましたがかなり反応が遅くなっていたし、電球が切れて改めて見るとかさの部分がボロボロでした。愛着もあり名残惜しかったのですが、これはもう休ませてあげたほうがいいのかもしれないと思ったのです。
絵を描いたりパソコンに向かったりすることが多い私が一番向かい合っていた家電です。様々な思い出が蘇ります。
埃や汚れをざっと落として、この数十年間ほんとうにありがとう、と声をかけてねぎらいました。人から見ればただの物かもしれませんが、家族を失った時のような喪失感があります。
人が必ずいつか命尽きるように、物もいずれ朽ちる。
長年連れ添ったものを失ったのは同じなので、寂しさや悲しさ、喪失感に襲われるのはむしろ自然なことかもしれません。
ただ、物は人間以上に世に残り続けることもある。
人は死んだあと名を残すといいますが、物を残すこともできる。
何気ない日常の雑貨が、後世からは重要な文化遺産になることもある。江戸時代の大坂で民家の庭に埋められたごみが、当時の文化を理解する重要な遺産になっているように。
断捨離がもてはやされている昨今ですが、何もかも捨てれば良いという風潮は私は好みません。
古い服を捨てろという人もいますが、特に平成初期くらいのものは今のものより材質や縫製が良く、着ることはないかもしれませんが私はなるべく残しますし、何ならリメイクして着たりもします。
何を残してゆくかもしっかり考えなければいけないなと思います。
気が付けば徹夜です。
本日はハロワ認定日。
頑張っていってきます。