『スパイダーマンの頃』

「スパイダーマンの頃」

平山亨 遺稿

 私は自慢にもならないが、もともと記憶の悪い事では人後に落ちない人間で学生時代は、 記憶関係の学科は全て駄目と言う苦い過去を 持ってる。
 自分のやった作品の事だから、当時は必死でやった物であり、いい加減にやった物など無かったのだが、覚えて居るかと聞かれると、 遠い昔の話のようで、中々思い出せない。
 東京12ch (今のテレビ東京) 昭和53年の 5月17日放送開始だから企画は遅くともその半年前から進めてた筈だ。
 だんだん思い出して来たぞ。 当時、米国のマーベルコミック社は日本に当社のコミックの売り込みを計画して居たが、 風土の違いと言うか、国民性の違いと言うかで、なかなか米国での爆発的人気にはならず、 日本駐在員のジーン・ベルクは困っていた。そこで、当時、売れに売れて居た東映テレビとタイアップしたら上手く行くかも知れない と、当時テレビ部長だった渡辺亮徳氏の所へ話を持ちこんだのだ。  私も以前から此の手のアメコミは嫌いでは無かったので、銀座のイエナ書房や日本橋の丸善書店で、どっさり買い込んで読み漁っていたので、内容は良く知っていた。
 私の感想は、日本のコミックに比べて非常に素朴に感じて、その日本人が失ってしまった素朴さをまだ持っている米国人と言うのはどんな人種なんだろうと興味を持っていた。主たる読者層は、どの辺りなのか?
ベルクに聞くと大人だと言う。
 大人が読むにしては、日本人の感じでは素朴過ぎる  
 そこで、研究してくれと言う部長の指示に従って英語の出来る飯島くん(東映動画で数々 ヒット作を産み出した名プロデューサー。 当時テレビ部に所属してテレビ部制作のアニメ コンバトラーVなどをやって居たとべルクのレクチュアーを聞いた。
 ベルクは、多分、米国の文学青年のは、こんなのだろうと思わせる男で、たどたどしい日本語を話す日本人ハーフの美人の妻の助けを借りながら、それでも漫画にこんなに情熱を賭ける男が米国にもいたのかと思わせる程に、 熱弁を揮ってマーベルのキャラクター達の生い立ちを次々と語った 
 いわく、ファンタスティック4、キャプテンマーベル、ミス・マーベル、ハルク、スパイダーマン等々、無慮何十と有るキャラクターを必死で説明した。
 確かに、単純ヒーローの多いアメコミのなかで、マーベルは、その総帥スタン・リーの志向で、主人公に現代人の悩みを内在させてるのだ。
 嫌という程聞いて、取ったノートが一杯になっ た頃、こう言うキャラクターなら日本のテレビにでも登場させられない事はないと思った。
 しかし米国の漫画家は我が強いから、細かい点にまで文句を付けて往生する事があると聞いて居たので、おいそれとは採用出来ないと思っていた。
 その頃、何度目かの部長渡米のチャンスがあり同行してマーベルにも行きスタン・リーにも会ったりして彼等が日本市場に本気な事も判ってきた。
『お願いします!』
『やりましょう!』
 しかし、我々にだって事情が有る。 いくらマーベルがその気だって、テレビ局やスポンサーが乗ってくれなければ、テレビにはならない。 幸い、日本にも、その総数は僅かだったろうが強烈なアメコミブームが起こって、出版界を動かしていた。あちこちの局に当たってる中に、12chが乗ってくれた。
 この頃、私は、
「ここは惑星0番地」
「大鉄人17」
「ジャッカー電撃隊 」
「快傑ズバット」
「5年3組魔法組」
「ロボット110番 」
「がんばれレッドヒッキーズ」と
アニメ番組
「ガイスラッガー 」
「激走ルーベンカイザー」
と劇場用特撮映画
「宇宙からのメッセージ」
に掛かっていた。
 当時、部長プロデューサーになったので、私の名前の出ない番組も有った。 特に「宇宙からのメッセージ」と其のテレビ版シリーズ「銀河大戦」は京都撮影所で製作したので、京都と東京の往復で大変だった。 もちろん、それぞれに専任のプロデューサー が居たので出来たのだが、スパイダーマンには吉川くんが付いてくれていた。その吉川くんが或る日、京都まで私を追って来た 。
「困りました。 スポンサーがどうしても巨大ロボット物にしたいと言って聞かないので、局も困っているのです」
 これには流石の私も参った。
 局の編成会議はスパイダーマンでOKになったのだ。いくらスポンサーの要望だからと言っ て、スパイダーマンを止めて巨大ロボット物にしますとは言えない。 さりとて、スポンサーを説得に要する時間もない。
 こんな時、不思議と私の頭には、過去の時代劇の頃の蓄積の中から名案が閃くのだ。あの巨匠脚本家 比佐芳武さんのセオリーの中に「宣伝スチール式構成法」と言うのが有っ た。
 娯楽時代劇の脚本を構成する際に、まず、映画館の表に貼って有る宣伝写真の数々を思い浮かべるのだそうだ。
 宣伝写真は館の前に来て、見ようかな?と迷っいる客がそれを見て面白そうだ!これを見よう!と思わせるような魅力的な写真が並べて有るのだ。
 その光景を思い浮かべ数々の面白そうなシーン脈絡無しに想定し、それらを逆に構成してストーリーを作るのだ。そうすれば、ストーリーから構成して行った場合のように理詰めになって絵づらとしては面白い所が無いなんて言う失敗は無いと言うのだ。
 私は数多の企画でヒットして来たが、この一見無茶な発想法を忘れた事は無かった。スパイダーマンの数多い見せ場の最後に、巨大ロボットを登場させよう!
 そのロボットを操縦して戦えばスパイターマンの魅力もプラス1た。
 その為には敵も巨大になる必要は有るが、発想としてはプラスになる。
 出し方には取るデリケイトな技術が必要で、うまくやらないと、付けたしになってしまう難しさが育って脚本家やスタッフに苦労を、製作費は勿論プラスαを貰わなくては出来ないが新しいスタイルとして強力になる事は間違い無い。 あとで考えればこれがブラス巨大ロボットタイプの走りとなったのだ。 この不思議な作り方についてマーベルは別に文句は付けて来なかったし、次にはキャプテンジャパン、ミス・アメリカなど「バトル フィーバーJ」へ其の提携関係は続いて行くのだが、日本の此の展開の早さに、彼等は付いて来られなかったようだ。

平山亨


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